Mardi Gras
投稿日:2011年3月7日
Mardi Gras(マーディ・グラ)のパレードが3月5日(土)にありました。
Mardi Grasというのは、フランス語で、直訳すると、「肥る火曜日」という意味で、世界中に、この名のつくキリスト教のお祭りがあります。シドニーでは、なぜか、ゲイとレスビアンのお祭りになりました。シドニーのものは、「南半球で一番大きなゲイとレスビアンのお祭り」とよく表現されます。
もともとは、キリストの死を悼み、復活を祝う四旬節が水曜日に始まり、それからは節食、あるいは断食に入るので、その前の日(火曜日)の夜に思う存分、腹いっぱい食べる、という意味から来たものだということです。
シドニーでは毎年、その水曜日に続く週末に大きなパレードが行われます。
私が、シドニーに住むようになった30年前には、このお祭りはまだ始まったばかりで、規模も小さく、報道には批判の声しかありませんでした。徐々に規模を拡大し、今は、リオのカーニバルと並ぶほどの人気を博し、シドニーの観光の目玉行事になっています。34回目になる今年は、30万人の人手が予想されているということです。
同性愛に対する社会の見方の変化が、そこに表れているように思えます。
私は、テレビのニュースでしかその様子を観ることはありませんが、毎年、華やかに着飾った、あるいは、半分裸の人々が、何ヶ月もかけて飾り立てた山車に乗って、あるいは、山車を囲んで、街中を練り歩く模様は見事なものです。
折りしも、今、国会では、ゲイとレスビアンの結婚を認め、男女の結婚と同じ法的なメリットを与えるべきであるという法案が提出されています。喧々諤々の議論があることは、想像に難くないでしょう。少し前であれば、宗教関係の人々が強い非難の言葉を放ったのですが、昨今は、同性愛そのものを否定する言葉は、公には、ほとんど聞かれなくなっています。
時宜を狙ってのことでしょうが、たまたま「60 minutes」という番組で、レスビアンのカップルが子供を持つ番組がありました。若いカップルが、精子提供者を募集し、最初の子供の誕生に成功したので、再度挑戦。二度目は、五つ子。迷いに迷った結果、5人全部を出産。5人ともそれぞれ1キロの未熟児。なんらかの後遺症、障害が発生することは避けられないだろう、とのこと。
結婚とはなんだろう、家庭とはなんだろう、子供を出産する環境には何が大事なのだろう、などいろいろと考えてしまいます。
世の中は、どんどんと変わっていきます。価値観もどんどんと変わっていきます。何が良い、悪い、は立場が変わればみな違います。まだ高校生の若者は、これから、世の中のたくさんのことに関して、自分なりの意見を持ち、自分なりの価値観を培っていかなければなりません。情報が氾濫する中で、何を基準とすればいいのか、大いに迷うことでしょう。
それでも、しっかりと生きていくためには、その土台となる自分の価値観、道徳観、世界観を見つめながら、自己のアイデンティティを築いていかなければなりません。
今朝は、アメリカのある牧師さんが、「地獄は存在しない」主旨のことを言ったということがアメリカのニュースで取り上げられていました。「悪いことをしたら地獄に行く」として人々のモラルを統制してきたキリスト教の根本がくつがえされる発言です。これは、世界の3分の一の人々の考え方の根底を変えるものです。
その呪縛から解かれた時に、人々は、どのように変わるのでしょう?幸せになるのか、それとも、自由を得たと勘違いして道徳を忘れるのか?
日本人には、神様、仏様の意識があります(ありました、というべきでしょうか?笑)。困ったときの神頼みではなく、神様、仏様の存在があるからこそ、ありがたいという気持ちが起り、仏様の目を盗むようなことはできない、という自制心につながってきたのだと思います。
そうした箍から人間が外れた時に、人間を人間らしく支えるものが何なのか。如何様にでも生きていい時代であるからこそ、なお一層、どのように生きるかを真剣に模索することが必要なのでしょう。
留学は、若者たちが生き方を模索する大きな機会でもあります。