努力は誰のため?

投稿日:2015年2月2日

努力の継続 - 言うは易し行うは難しの最たるものかもしれません。

努力を継続したら、何か身のあるものになるというのは、恐らく、誰でもが理解している感覚でしょう。でも、それが如何に難しいかも、多くの人々が実感しているものでもあります。

人間は、習慣の動物です。習慣が、長く続けば、それは、習性になってしまいます。

留学に出てくる時には、みな、誓ったはずです。こうしよう、ああしよう、と。目標を掲げ、それに到達する努力を自分に約束してきているはずです。

新しい生活の中に入ると、しばらくは物珍しいものの、徐々に、以前からの習慣が出てくるようになります。そのひとつが、自分の時間のオーガナイズの仕方と、人々とのコミュニケーション方法です。

学校にいれば学校の時間割に従います。考えなくていいので、らくです。

家に帰ると、家の生活のリズムがあります。ホストがいろいろオーガナイズしてくださる波に乗っていれば、時間は自然に過ぎていきます。でも、一人の時間をどうするか? そこは、自分の決定と選択が入ってくるので、考えなければなりません。

コミュニケーションの方法は、どうするのか? 英語がある程度ものになるまでは、日本語に頼る部分がたくさんあります。余儀ないこともありましょう。でも、英語が上手になりたいと誓った以上、英語に徹することをどこかで自分に課さなければ、らくな方に流れます。

必要な際には、どちらの言語を使ってもいいのです。でも、常に意識と努力を求められます。

頭で思うだけではダメなのです。

心で望むだけでもダメなのです。

日本語には、腹をくくる、腹を据える、腹を決める、腹を固めるなど、決意に関する言い回しがたくさんあります。

そうなのです。本当の努力は、腹をくくったら、できるようになります。

 「努力」について格言は、いくつもありますが、もっとも知られているのは、エディソンのものではないでしょうか。

「ボクは、失敗なんてしていない。1万回のやり方がそれではうまくいかないと伝えてくれたのだから」と、数え切れないほどの実験を重ねたエディソンは、

~ 天才は、1%のひらめきと99%の努力 ~

という言葉を残しています。

先週は、Mr. Kolokossianと努力の継続について学びました。’Effort’は、DHSの3つの標語のひとつです。

Respect(これは、日本語の敬うという意味とは少し違い、自分を含め、すべてのことを大事にするという意味に使われます)

Responsibility

Effort

その際習った言葉は、これ。

~ Continuous effort – not strength or intelligence – is the key to unlocking our potential. ~

チャーチルの言葉です。

「力でもなく知性でもない。人間の可能性を開く鍵は、努力の継続なり」

1月30日に、50年前の国葬で棺を乗せた船がテムズ河を下ったように、功績を称えて船がテムズ河を下りました。

英国という大国を率い、その大国の力を背にし、言語を極めて雄弁に操る人物が、言っている言葉です。力ではない、知性でもない、努力の継続が可能性の扉を開くのだ、と。

1年間、努力を継続した人々には、必ず大きな成果が訪れてきます。

でも、本当に努力が必要となるのは、大きな壁や困難にぶつかった時です。そこを切り抜けるためには、普段よりももっと大きな努力が必要です。

でも、夢に向かっている人々には、それを乗り越えるだけの力がありましょう。

人生の体験において無駄になるものは何もありません。自分が選択して自分が挑戦した事であれば、仮にうまく行かないことがあっても、そこから学ぶことは極めて貴重なものとなります。

注入したものは、すべて自分に戻ってきます。

そして、戻ってくるものは、注入したものに見合ったものです。

注入が少なければ戻ってくるものも少ない。注入が多ければ、戻ってくるものも大きい。すべて、その人次第です。

 オリエンテーションの時間が終わり、今日からが本格的な授業の始まりです。

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