アリーナ
投稿日:2011年3月19日
普段はあまり縁の無いスポーツ観戦。なぜか、ここのところ立て続けに、生徒たちの活躍をじかに見せてもらう機会に恵まれました。
先日は、水泳の地方大会。そして、18日には、バスケットボールの対校試合。相手の学校は、「強豪」と云われるLisarow(リザロー)校。DHSから80キロも離れたところです。高速から降りたところで、先導車がストップ。ナビを付けている私の車が先頭に。ナビにしたがって、再び高速に。それも、今来た方向に。読み違えたことがあとになってから判明。なんというドジ!10キロほど回り道をしてようやく到着。ヤレヤレ。
強豪と聞いていたから、余計に強く見えるのでしょうか。相手チームは、本当に強そう・・・ DHSチームは、8名の選手(ICETからは、ヒカル君とツカサ君が出場)とコーチ一人。応援は私一人だけ。
Lisarowチームは、クラス単位で観にきたのか、先生と生徒たちが両側に50名近くで応援。とても嬉しかったし、よく教育されていると思ったのは、DHSのチームがシュートを決めれば拍手してくれ、片方だけへのワー、キャーがなく、応援にまったく偏りが出なかったことです。
”Come back next year!”という相手のコーチの言葉が、「来年また会おうね」という意味合いよりも、「来年出直しておいで」というニュアンスに取れたのは、負けた悔しさゆえだったのかもしれません。
昨日と今日にかけて、Australian Little Ahletic Associationという組織主催による陸上のヤングの州大会が、オリンピック・パークでありました。昨日の3000mでタイキ君が3位に。今日の1500mは、疲れがひどかったということで、本来の力が出せなかったようです。
スポーツには、順位がつきます。学校の成績にも順位がつきます。一生懸命がんばった努力が成果として表れれば嬉しいことです。でも、努力を注入しても、いろいろな条件で成果が充分に出ないこともあります。学校もスポーツも厳しい世界です。
クーベルタンが言ったように、「参加することに意味がある」のでしょう。結果の数字如何に関わらず、一生懸命泳ぎ、走り、投げ、全身全霊でその瞬間に自分のすべてを投入している姿は、美しく感動的です。
観戦している間、ゴールのすぐそばに座っていた私の周りでは、アリーナでいろいろなことが起こりました。
ある少女が、呼吸が止まりそうなほどに号泣していました。レースに負けて、それだけでも悔しいでしょうに、お父さんが、「罰を与えるぞ」と怒っているのです。隣のお母さんが、「そんな必要ないでしょう」と言うと、「お前は黙っていろ」。少女が、「あれが私のベストだったのだから、許して」と息たえだえに訴えます。それでも、お父さんは、「こんな結果で、罰がないわけがないだろう」、と。
この少女は、家に帰ってどうなるのだろう。この少女の未来は、どうなるのだろう・・・
また別の少女は、レースでビリになりました。待っていたお母さんは、「よくがんばったね。あなたは私の誇りよ。」と褒め、強く抱きしめていました。
また、別の女の子は、怪我をしたのでしょうか、びっこを引きながら、戻ってきました。痛そうに涙を流しているのに、お母さんは、携帯電話で誰かと話をしていて、少女のほうには、無関心です。
わずか40分ほどの間に、競技場では、いろいろなドラマがありました。どこの家に、どんな両親に生まれるか、それも人間が背負う運命なのでしょう。