Canberra 2
投稿日:2011年4月27日
2日目
アンザックの式典の日です。オーストラリアの国の至るところで、この式典が行われます。もともとは、英国連邦下で第一次大戦の際に遥かヨーロッパに兵を送ったオーストラリアやニュージーランドが、トルコのガリポリで1万人以上の兵を失い、その傷を癒すために設定された日です。その後も両国は、いろいろな戦争に参加することを余儀なくされ、アンザック・デイは、今では、すべての戦争に参加し、貢献し、命をささげた人々の冥福を祈り、そこでの苦難に想いを馳せ、感謝する日となっています。
戦火の後の野に最初に咲いたということで、命の象徴となっている真っ赤なポピーと、「思い出す」を意味するローズマリーが、この日のシンボルとなっています。戦争記念館には、過去の戦争で亡くなったすべての人々の名前が刻まれていますが、その横にポピーが刺してあるのが印象的です。
WWIでは、オーストラリアは14万頭の馬を戦場に送っています。多くの兵士は、自分の持ち馬を持っていきました。馬は、彼らの友であり、戦場では、多くの場で命の救い主でもありました。でも、検疫の厳しいオーストラリアは、いったん、外国に出た馬を呼び戻すことを禁じたのです。戻ってきたのは、たった1頭だけ。
このことは、自分の命と同じ大事な「友」を連れて帰れなかった兵士の心を裂いただけでなく、その後、多くの人々の涙を誘います。
式典の行進では、そのことを象徴して、馬が一頭だけ、一番最初にアリーナをまわります。
式典のスピーチでは、「戦争には、勝者はいない。一般市民は、どちらの側にあっても、みな苦しみと痛みを味わう」という言葉が印象的でした。
バスが停まっているところまで、少し距離がありました。時間を節約するために、公園を探すことを止め、道路脇の芝生の上で食べることになりました。どんぐりがたくさん落ちている樫の木の下にみんな座って、お当番さんたちが作ってくれたサンドイッチを頬張っているところに、家の持ち主が車で車庫から出てきました。
「こんにちは!」と日本語の挨拶が飛んできました。
なんと、日本が大好きな方だということ。CSIROという科学研究所に勤務されているJosieさんという方でした。それからまもなく、今度は、若い青年が家から出てきて、「母から電話がかかってきて頼まれたので、みんなの写真を撮ってもいいですか」ということ。彼、Charlie君もCanberraの姉妹都市奈良に交換留学で行ったことがあり、日本はもう何度も訪問しているということ。
ランチを食べながら、Mr. Gavinのお話を伺っている間に、Josieさんが戻ってみえました。緑茶があるので、みんなを家の中に招待したい、ということでした。残念ながら、午後の予定をこなすために、お茶をごちそうになることはできませんでした。
なにか、とてもほのぼのとしたものを感じる瞬間でした。
午後は、戦争記念館の見学。全部見るには、数日必要としますが、主にWWIとWWIIの会場を見学。怖くて写真を見ることができない生徒もいましたが、みな、熱心に見学していました。
最後は、Questacon(クエスタコン)という科学博物館です。ここは、地球の成り立ち、環境、物事の原理など、私たちを囲むすべてのものの裏側の機能を模型、図式、写真などでていねいにわかりやすく説明してあるところです。子供たちにもわかるよう、そして、子供たちが科学を興味を持つよう、遊びやゲームも盛りだくさんに取り入れてあります。
夜は、また、食事当番さんたちの活躍。食材の買い出し、そして、夕食、翌日の朝食とランチの用意。大きなグループが去ったためか、最初の日よりは、お鍋や食器の数も多くなっていました。不便さはあっても、生徒たちも、要領を得てきているようです。みな、工夫し、苦労しながらも、けっこう、楽しんで作っています。みんなで共同で作る作業は、楽しくないはずがありません。
できたミートソースのスパゲテイ、みな、「おいしい」「うまい」を連発していました。ありがとう!