碧い海原
投稿日:2010年7月17日
7月の休暇もそろそろ終わりに近づいてきました。10年生は、プロジェクトを完成すること、ホストファミリーとの交流を深めること、というふたつの目的をもった休暇。12年生にとっては、9月から始まる日本での大学受験と来週19日から始まるHSCの模擬試験のふたつの大きな試練に向けての貴重な準備期間。どちらの学年も向かうはっきりとした目標と指針がある休暇です。
その中で、宿題の課題があっても、すべての時間を個人の自由の選択に任されているのが11年生。従うべき計画がないというのは、嬉しい反面、自分で充実した時間を作ることはけっこう難しいと感じている部分もあるようです。11年生になったら企画される行事が少なくなったと感じている11年生たちと、Port Stephenseというシドニーから2時間半ほど離れたドルフィンがたくさんいることで有名な入り江に遠出してきました。有効な日豪関係の中で唯一感情的な対立をもたらしてしまうことのある捕鯨やドルフィンのことについていろいろ学んだあとなので、大自然を満喫し、動物と接し、様々な取り組みの仕方を学習することも大事なこと。そのために企画したものです。
5月から11月にかけてのこの時期は、南極海から北の暖かな海に移動するクジラの群れがオーストラリアの東海岸を通り抜けていきます。シドニー沿岸でも何度も目撃されています。2日前にも、Whale Beachという名前からしていかにもクジラがいそうなビーチで2頭のザトウクジラが遊泳しているの肉眼で楽しんだ人たちがたくさんいたということです。海上を飛び跳ねるドルフィンの群れを見たという人にもよく出会います。シドニー湾では子供を産むクジラのニュースが数年に一度流れます。親子に名前が付けられ、「今、赤ちゃんクジラがお母さんの背中をすべりました」「お母さんの下のもぐってオッパイを飲んでいます」といったラジオの実況中継まで流れ、クジラの親子が北に移動すれば、人と車の流れも北に移動する、といった具合です。日本でも川に間違って入ってしまったアザラシに人々が一喜一憂したことがありました。みんな見身近で観る動物はかわいいのですよネ。
Port Stephenseも、クジラの移動の通り道です。最高のお天気に恵まれ、空も海も紺碧の日になりました。1時間半ほどかけ、入り江から大海原に出ました。途中、天然記念物となっている鳥が住んでいるという岩石の島がありました。岸壁の下で打ち寄せる波が、白いしぶきになって舞うのがとてもきれいでした。
クジラやドルフィンに出会えるかどうかは、その日の運もあるのでしょうが、いました! ザトウクジラが潮を吹き上げ、時々、尾ひれをもたげたり、背中を見せたり・・・ そして、たくさんのドルフィン!! 船と並んで泳ぎ、船の前を飛び上がったり、横切ったり、船に向かって泳いできたり・・・ アザラシもいました。気持ちよくお昼ねをしているとこを船が近づいてきて起こされてしまったようなのですが。同じアザラシかどうか、帰路で岩の上で日向ぼっこをしているアザラシがいました。
しっかりとカメラでこうした光景を収めた生徒がいます。クジラの尻尾についている貝殻まで映っている鮮明な写真もありました。その見事な写真は、また、Newsletterなどでご披露できると思います。私はトライをしたものの、1枚もしっかりと映っているものが撮れませんでした。まあ、私のカメラ技術ではそんなものでしょう。
わずか3時間ほどなのですが、自然のふとろこの大きさに呑みこまれた気がしました。広く深い海、そして、何千年と変わることなくそこに存在している岩や島。人間の営みが激しく移り変わっていく中で、自然は、時の流れに関係なく、すべての動物の生命を包み込んでいる。わたしたち人間は、毎日の生活に急がししく、そして、その中で起こることひとつずつのことに反応して戸惑い、悩み、悲しみ、不安を抱き、そして、ひどい場合には、殺しあうことさえしてしまう。自然は、そんなことにはまったくお構いない。波は永遠にリズムを刻み、鳥も魚もクジラもドルフィンも、その中で、時に嵐にあったりしながらも、自由奔放に何万年前から伝えられた彼らの生き方を繰り返している。人間の存在ってなんなのだろう。この広い宇宙にあっても、その世界を観る目は一人ひとりの世界から出発する。そこを中心にしてでしか世界はまわらない。それを何千年と繰り返してきた。そして、今も平和には暮らしていない。紛争や戦争が至るところで起こっている。人口が増えれば増えるほど、そして、みんなの欲望が増せば増すほど、そのたたかいはもっと熾烈になっていくのだろう。
海の上を吹く風にあたりながら、そして、さんさんと注ぐ太陽を浴びながら、自然と動物と人間の関係をなんとなく思った日でした。