URA Forum 2
投稿日:2011年5月13日
昨年度ICET-Davidsonで過ごしたヒロマサ君が日本に帰国し、英語で書いたエッセイでスピーチコンテストのエントリーを得たという嬉しい知らせがありました。去年URA Forumの10年生のキャプテンとして仲間と一緒に一生懸命取り組み、学習したグローバル社会の課題を取り扱い、スピーチを通してURAの概念を汎めていることをとても頼もしく感じました。
さて、2011年のフォーラムのテーマは、今十代を生きる若者たちが遭遇する、あるいは、創り出したい世界像です。現在を踏まえて、これから来る未来をどうすればいいのかを考えます。
わずか5年前ですら想像ができなかった大変な世界に今の十代の若者たちは住んでいます。
インターネットひとつを例に取ってみましょう。豊かな国に住む子どもたちには欠かせないものです。以前ある国際フォーラムでニューヨークにあるThe Masters Schoolの校長先生が、「子供たちは今は人々との関係を(本来は一人でゆっくりと休息を得るための睡眠を確保する)ベッドルームにまで持ち込んでいる。」と述べておられましたが、ベッドルームで映画を観ることも(どんな内容のものかは皆目周りにはわかりません)、友達とテキストによる会話をすることも可能であり、時には、いじめすらも個室にまで侵入させてしまいます。
世界を観れば、Wikileaksは、情報の独占を不可能なものとし、大国を揺さぶり、エジプトから始まり中東に広まった庶民の政治への直接介入を可能とし、情報世界は今まで想像もできなかった世界へと人々を運んでいっています。
これは、わずかひとつの面にしか過ぎません。世界の情勢は、刻々と変わっていきます。ほとんどは、普通の社会人には、決定にも過程にも関係のないところで起っているのに、でも、それが徐々にいずれかの形で個人の生活にまで影響を及ぼしています。オサマ・ビンラーデンの暗殺もそうであれば、原発の問題も然りです。
生徒たちの未来の環境はどうなるのか。URA Forumでは、現在の状況をまず考察し、未来を推測、洞察します。
資源、IT、言語の変化、価値観や宗教観の政治や外交への影響という4つの分野でリサーチをPower Pointにまとめ、それを参加する生徒たちが議論できるような資料として発表し、それぞれのグループで意見を述べ合います。
未来像が見えてきたところで、それに対してどうするのか、今できることは何なのか、今必要なことは何なのか、それを教育を通して得るためにどうすればいいのか、ということを午後話し合います。
未来に備えた教育、カリキュラムはどんなものなのか。議論から起こしたモデルを創り上げるところまで行けば上々ですが、おそらく、これだけの内容をこなすためには、時間が短すぎます。でも、時間というものに制限される中で仕上げることも、現代人に課された特徴のひとつなのかもしれません。
URA Forumには、Model Farms HSとBlacktown Girls HSという他の2校の代表生徒たちが参加します。後者の学校は、両親の代までさかのぼれば、60を超える国々から移民しているまさに多文化の学校です。「共生」が見事に実現されているところです。
生徒たちは、みな、燃えています。
第二回目の会議が開かれた火曜日。責任を持つということはこういうことなのだ、という例がありました。フォーラムの10年生のキャプテンがたまたま病欠となりました。「ミーティングでみんなに伝えなければならないことがあるから行く」というのに対して、ホストマムは、「ダメ」「それでも行きたい」「今日は家で休みなさい」。仕方なく、あちらこちらに電話をして、その書類を届ける方法を模索し、全部ダメとわかったら、「これを学校にFAXして」とホストに依頼。
FAXが送信されると友だちに連絡し、その内容をこうして、と指示。というわけで、無事にミーティングには支障なし。見事というしかありません。
生徒たちは、この他に、ESLやGlobal Issuesという科目の中での授業に伴う宿題、被災地に送るためのメッセージや折った鶴を使っての飾りつけ、ビデオ撮り、選択授業のアサインメント(リサーチとまとめ)の提出、スポーツ、ボランティア活動とたくさんのことが詰まった忙しい毎日を送っています。