ガイア・シンフォニー
投稿日:2011年5月29日
5月26日、ホストファミリーの会が開かれました。
10年生のホストのみが対象のものでした。留学中、ホストファミリーとの生活が上手に行っているかどうかは、留学の成果そのものを左右します。ホストとの人間関係がうまく築けずにしっくりといかないと、気持ちが落ち着かず、学習に集中することができません。
留学中に思う存分英語力を伸ばすことができる生徒は、ホストとの会話がたくさんあります。学校で習うことは、形です。文法にしても表現にしても言い回しにしても、みな、形でしかありません。その形に息を吹き込み、自由に使えるようにするのがホストファミリーとの実践の場です。学校のキャンパスは、リセスの20分とランチタイムの40分だけです。そして、会話の材料は、現地の生徒からも、また、日本人の生徒からも提供できるものは、比較的限られたものでしょう。
ホストのお家での会話には、シナリオがありません。形がありません。会話の材料は無限です。そこには、生徒からの好奇心や、発想や、工夫や、思いやりや、気付きなど、いろいろなものが必要となってきます。「世話をしてもらう」という発想だけに留まっていると、「話しかけてもらえない」「何も話すことがない」「いつ会話に入ればいいのかタイミングがわからない」といったことになります。「自分がホストを楽しませる力を持っている」と自覚するだけで、状況は一転します。
今回は、なぜか、出席してくださったホストファミリーがいつもと違ってとても少なかったことが少し意外でした。でも、それだけ、話さなければならない問題はないということなのだろうと、普段の状況から判断してもよさそうです。実際に、欠席の方からも、「問題ないから大丈夫」というメッセージが届けられていたようです。出席してくださった方々も、ほとんどの方々が、とても良いと感じていてくださっていたことは、ありがたいことです。生徒たちからの努力や働きかけを充分に感じ取っていてくださっていました。
問題とされたことも、生徒が少し意識を変え、それを姿勢に反映することで、すぐに解決に至る類のものです。
話は変わります。
「Gaia(ガイア)」という言葉をよく耳にされると思います。日本でこの言葉が一挙に広まったのは、日経スペシャルの「ガイアの夜明け」というテレビ番組からではないかと思います。本屋さんでも、このタイトルでよく見かけました。
御存知のように、ガイアは、ギリシャ神話の地球の女神です。今では、ガイア=地球の観念として世界に広がっています。ガイアには、物理的な地球ということだけではなく、そこに包含されるすべての自然、それを創り上げている偉大なる、そして、崇高なもの、人間が生涯届きたいと願うスピリチュアルなものも含んでいます。特にこちらでは、ガイアという言葉は、「大地の魂」「大地の恵み」という意味合いが強いように感じています。
誘ってくださる方があって、「ガイア・シンフォニー(地球交響曲)」という映像を観る機会がありました。龍村仁監督によるもので、20年前から制作にとりかかっておられるということですので、皆様の中には、すでにご覧になってみえる方々がたくさんおられるかもしれません。
1970年代の最初に英国の科学者James Lovelockが唱え始めた、地球そのものがすばらしい生命体であり、その上であるすべての生命の維持を保っているという「ガイア・セオリー」に刺激され、龍村さんがフィルムの制作を始められたということです。現在は、すでに7本目が完結しているということです。
こちらに在住する日本人の有志の方々によってラグビークラブの会場で上映された今回の作品は、4本目のものでした。テーマは、自然、(人間一人ひとりの)個の精神、崇高なものとの出会い、地球環境の維持、ということに絞られていました。科学者James Lovelock(ジェームス・ラブロック), サーファーGerry Lopez(ジェリー・ロペス)、霊長類動物学者Jane Gooall(ジェーン・グドール)、版画家那珂睦稔(なかぼくねん)の生き方を通して、自然との共生の中にこそ、崇高なものとの出会いがあることを語るものでした。
良いチラシがあり、数週間前からわかっていたので、生徒たちにも行くことを勧めました。ことに、18歳以下は無料であり、梅井先生と二人で、特に土曜学校のボランティアをしている生徒には、送迎の車を出してもいいとまで誘ったのですが、他に予定が入っていたようです。スポーツに参加している生徒たちは、もちろん来れません。皆、忙しい週末を送っているようです。
機械と「物」のみに囲まれた現代の生活の中で、こういう内容の映像に触れることは極めて大事かと、これからCAPDの教材の一部として取り入れることにしました。誘ってくださった方に感謝です。
先日、Mary Poppinsについて述べました。生徒に声をかけてみたのですが、全く反応がなく、そこでは、「文化」と「世代」の違いを感じました。この作品が出たのは、生徒たちが生まれるずっと前のことです。こちらでは、そのストーリーと曲で育ち、メロディーとリリックが自然に口から出てくるのは、今、30代から40代初めの年齢の人々です。生徒たちから反応がないのも当たり前なのかもしれません(笑)。