Adventure
投稿日:2010年9月8日
8月25日
今週の言葉は、Adventure.
~ Discovering new people, places and things. ~
by Jennifer Black
「未知の領域に飛び込む」「自らの扉を開く」「新しい自分の発見」「宝物さがし」「いろいろなことに出会い、いろんな人に巡り合い、新しいことに挑戦していく」というのが、生徒たちの解釈でした。
人生そのものが冒険と言っても過言ではないでしょう。その中でも、留学は、大きな冒険です。未知の世界に飛び込み、自分を試されることばかりです。そこには、自分を大きく成長させるすばらしい挑戦がたくさん待っています。挑戦が大きければ大きいほど、達成感も大きく、成長も大きなものとなります。その後の人生の流れを変えます。
でも、冒険は、危険との隣合わせでもあります。留学の危険とは、何なのでしょうか?
デカイ口を開いて待っている誘惑です。
人生のどの場面にも、誘惑はあります。でも、留学中の留学は、留学生が冒険心に満ちているだけに、誘惑の世界の「冒険」もそうたいした冒険ではないように見えてしまうところに罠があるのかもしれません。
一度、その口に飛び込めば、向学心を失い、小遣いの額が膨れ上がり、将来への礎を築くことは難しくなります。誘惑に背を向けるにはどうすればいいのか。
あるラジオ番組で、「意地悪な母親」という詩が読まれました。内容をかいつまむと、次のようなものです。
「僕の母親は、いつも意地悪だった。ぼくの友達がマックのハンバーガーをほおばる時に、家で作ったサンドイッチを食べろと言った。友達がポテトチップスやコーラをうまそうに食べている時に、リンゴをかじれると言った。友達がコンピューターゲームを楽しんでいるのに、僕は、させてもらえなかった。勉強が先だといい、させてもらってもいつも制限付きだった。高校になればパーティがたくさんある。友達は、どこ行くのも自由だった。僕は、どこで、誰と、何をして、としつこく聞かれた。そして、いつも10時には迎えにくるのだ。バツの悪いことこの上なし。友達は、みんな僕のことをバカにして笑っていた。僕は、恥ずかしかった。
現在、僕は二十代の半ば。当時の友達の中には、ドラッグ、アルコールで身を崩しているものが少なくない。僕は、ドラッグにはもちろん手を触れないし、タバコも吸わない。心身ともに健康で健全な社会生活を送っている。今になってわかる、社会は僕の母親のような≪意地悪な母親≫をもっと必要としていることが。」
誘惑に誘う仲間に「私は行かない」「私はしない」と言うには勇気が要ります。勇気を出すためには、判断力を行使できるだけのしっかりとした分別と踏ん張る力が必要です。それには、どこが分かれ道となるのか、踏み越えてはならない最終の線がどこにあるのか、わかっている必要があります。普段から物事のけじめをきちんとつけていなければ、その線はよくわかりません。まだいける、まだ大丈夫、と少しずつ伸ばしていくと、健全な感覚はだんだんと麻痺し、いつか、ゴムの弾力は伸び切り、もう、元には戻れなくなってしまうようなことにもなりかねません。
線を見極める訓練をする場が、実は、何げない、毎日の生活の中なのです。時間の区切り、ルールの準拠、たいしたことには見えない小さなことにけじめを付ける、それが訓練です。「たいしたことないさ、このくらいなら」という1回が、3回、5回と重なれば、それは習性となり、崩すことは、とても簡単になります。そして、なあなあの姿勢を続けた果ては、誘惑のデカイ口に飛び込むことはいとも簡単となります。
人生は、毎日の行動の選択の積み上げです。選択ができるだけよいものであるためには、毎日の意識と努力が要ることを再認識させられた「意地悪な母親」の話でした。