幸せとは

投稿日:2010年9月13日

 9月1日付の朝日新聞に興味深い記事がありました。ニッポン放送が電通総研と組んで、関東地方で20歳から69歳の男女千人にインターネットで調査した結果が掲載されていました。8割の人が「幸せ」または「まあまあ幸せ」と感じているというものです。

 私は、この数字にとてもびっくりしました。

 オーストラリアで得る日本のニュースは、むしろ、暗いものばかりだからです。毎年3万人を超える自殺者、うつ病患者の増加、3人に一人は癌になる、13万人を超える不登校の中学生、百万を超えるともいわれる「ひきこもり」の若者たち、子どもの虐待、家庭内暴力、家庭内離婚、リストラ、不況、そして、政府の混迷。

 こうした暗い記事だけが誇張されていて、ほとんどの人々は、こうしたニュースとは関係のないところにいるのだろうか・・・ それともこのアンケートの対象となった人々が、幸せの風船の中に暮らす限られた人々だったのだろうか・・・

 この記事には、「幸せ」の定義がありません。8割の人たちが幸せと感じているという「幸せ」というものは、いったい何なのだろうと考えてみました。日本はとても平和です。安全神話が壊れたとはいえ、日本に来る外国人は一様に「安全」を感じると言います。みんな清潔できれいです。物に溢れています。公共の交通網は便利で時間正確に運転されています。すべてにおいて痒いところに手が届くサービスが行き届いています。社会生活の秩序が保たれています。多種の問題はあっても福祉制度も他の国々に比してよいものが確立されています。医学も医療も高度に発達しています。日常の生活においては、まことに恵まれた国です。

 8月23/30発行のNewsweek誌に「世界でベストの国」というリストが掲載されています。「生活の質」「経済の活発な動き」「教育」「健康」などの面から調査したもののようですが、何を基準にしているかは明確に記述されていません。でも、日本は、総合的に世界で9番目に過ごしやすい国だと出ています。ちなみに、1番はフィンランド、北欧は全部10番までに入っています。オーストラリアは4番目。アメリカは11番目。

 ここでも日本は、世界のベスト10に入る国、住みやすいという数値が出ています。国民も幸せと感じ、暮らしやすさを測った客観値も高いものであれば、手放しで、日本はすばらしい国と言えます。

 ということは、日本の80%の人々は、この環境に「幸せ」を感じているということになるのでしょうか。

それでも、まだ、腑に落ちないのです。80%の人々が「幸せ」「まあ幸せ」という数字が。

幸せを感じるのは、環境は大いに大事です。でも、中身が大きな比重を持つのではないでしょうか。自分のしたいことをし、夢を実現している、つまり、自分の望む人生を描くことができている、という面はどうでしょうか。さらにもうひとつ。自分の周りの人々と良い関係が築かれているでしょうか? 周りの人々と心を通じ合わせ、互いの輪を絡ませながら支えあっているでしょうか? 

 それがあっての「幸せ」80%ならば、本当にすごいものだと思います。

 この調査の結果では、21%の人々が、「自分がうつだと感じることがある」と答えているそうです。5人に一人を「うつ」だと感じさせるものは、何なのでしょう。その原因は、様々でしょう。経済的な破綻もあれば、毎日の生活に生き甲斐を持てないこともあれば、人間関係の煩雑さに押しつぶされそうになっているのかもしれません。あるいは、自分の夢を実現できずに挫折しているのかもしれません。私は、遠くから日本社会の変遷を見ていて、80%の人々が、こうした内面での充実を感じた上での「幸せ」を感じているとは、にわかに信じられないのです。

 「幸せ」、「ハッピー」という言葉は、とてもあやふやなものです。今、アメリカやオーストラリアでは、happyであることを目的とし、positive psychologyというのがとてもはやっています。なんでも、プラス思考にして、happyな状態にもっていこうとするものです。

 でも、人間は、常時、happyの状態にいることは不可能だと思うのです。人生にはいろいろなことがあり、人間は、常にいろいろなことを感じ、考え、悩み、行動し、反応し、といったことを繰り返しています。そのたびに、内面の感情はいろいろに揺れ動き、そこから、また、いろいろなものが生まれていきます。悲しみがわかれば、喜びもわかります。 

 「幸せ」という感覚は、小さなところにたくさん存在しています。ただ、それを感じ取ることができるかどうかは、個々の意識にかかっています。

 個々の存在は、社会の中にあり、周りに人々との前向きな絡み合いがあって、初めて浮き彫りになってくるものだと私は思います。絡み合うことを面倒だとしてしまうと、幸せをつかむチャンスも一緒に逃げていくかもしれません。

 何か、目的があると、絡みやすくなります。大層な目的でなくていいのです。たとえば、「私は人のために役立つことをする」「社会で自分に期待されていることをする」「誰かにあるいは社会に良い影響を与える」「誰かにあるいは社会に違いをもたらす」といった、目的意識を自分の中に作ることで、1日の中のひとつひとつの自分の行動に意味が出てきます。行動に意味があれば、存在価値も確認できます。

 日本の社会は、本来、人々のことを気遣う社会です。1日1善というすばらしい言葉も日本にはあります。これをみんなが実践することで、不登校、ひきこもり、孤独なお年寄り、自殺を選択する人々など、コミュニケーションの輪から外れてしまう人々に、小さな「幸せ」を毎日感じてもらうことができるようになるかもしれません。

 「幸せ」は、すぐ隣に、そして、自分の中にあるものです。問題は、それに気付くかどうかです。自分が気付いたら、ほかの人と分かち合うことも、気付かせてあげることも可能になります。

 つながりのある社会でありたいですね。

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