感情 - Feelings
投稿日:2010年9月20日
今週の言葉
Feelings:
~ Being honest with your emotions is a way to your Loving Heart ~
by Jennifer Black
「自分の感情に素直になって、それをまわりに伝えていくことで、より自分を知り、より相手を知る機会をつくる。そして、よく知り合うことで互いを愛することができる」「前向きな感情、自分を破滅させるような感情、そうした両方の感情に向き合うことで人間性を高め、自分をさらに高い次元にもっていく」「押し殺してきた気持ちを素直に発してみよう」「すなおになって自分をもっと大事にする」「もっと人を愛そう」
といったコメントが生徒たちから出ました。
自分の感情に素直になる。これは、実は、とても難しいことです。なぜならば、自分の感情を素直に認めたら、今、現在行っていること、している生活を、もしかしたら、ひっくり返さなければならないようなことになるかもしれないからです。
自分の感情が何を感じているのか、そこに気付くことさえ、忘れてしまっていることすらあるかもしれません。
人間は生まれながらにして、社会の機構の中に組みこれます。最初が家庭、学校、そして、職場。そうした個々の機構は、地域社会、国という大きな組織の中に存在します。その中で、その存在場所にあった規範に合う方法で、感情と対処することを教えられます。
例えば、簡単な例なら、少し昔までは、「男の子はメソメソするな」「男は余計な口をたたくな」といった具合で、男子は、感情を出すことも、それについて話すことも、男らしくないこと、と教えられてきました。感情を抑制し、感情を持つこと自体に罪悪感を感じ、それについて人と話すなどということは、有り得ないことだったでしょう。
社会の中での自分を考えるために、その場の雰囲気を壊すものであれば、また、その場の会話の流れに沿わないものと見れば、言葉に出さないことはたくさんあるでしょう。今後の人間関係を悪くするかもしれないと思えば、自分の感情を抑えることもあるでしょう。
日本の年間3万人を超す自殺者の数は、世界を驚かすものです。経済的な破綻とか、いじめとか、その他のっぴきならない状況に置かれているのでしょうが、根本は、気持ちを言語化できず、周りの人々と理解を共有できず、絆を感じられないまま、命を絶つというのがほとんどのケースではないかと想像します。
日本人の若者を見ていて感じることは、自分の感情や考えを表現する、発表するということをとても怖がるケースが多いということです。考えは、物事に対する思考であるために、まだ、言いやすい部分もあるのですが、それでも、発表を控える若者はたくさんいます。若者だけでなく、世界のいたるところで開催される会議でも、日本人の発言がないことは知れ渡った事実です。仮に意見を述べても、「役割」の中での発表に尽きる、というところでしょう。
ましてや、自分の感情について述べるなどは、論外、という感覚を持っているようです。
その原因は、まずは、上手に言葉にできないということもあるのでしょうが、そうした体験をあまり持っていないことに加え、自分の中身を見せた後のみんなの反応が怖い、という感情が先行するからです。
決定的な原因は、日本人が、自分の意見や感情を示す場に慣れていないということです。
では、どこでその体験をもたらすことができるのでしょう? 家庭と学校です。家庭は、小さな頃から、家族の中で、あれこれいろいろなことについての話をし、それぞれがそれについてどう感じるか、考えるかということを話す場、団欒の場、があるかないかは、大きな違いをもたらします。家族という人間にとって軸となる場で、気持ちが交流ができていれば、そして、それが自然の状態であれば、大きくなってもごく自然にその交流ができます。
そのためには、その交流が互いの意見を認めあう姿勢に支えられていることが大事です。つまり、子どものいうことであっても、真摯に耳を傾け、話に乗る大人の存在が要ります。忙しいからと、子どもが言うことに耳を傾ける人がなければ、そして、こどもの言うことに、「生意気だ」「余計なこと言うな」「うるさい」という反応が戻るのであれば、その場は、子どもが失望、絶望、挫折、痛み、裏切りを感じる場となり、意見や気持ちは、隠すべきものとなってしまうからです。
それが、大人の時代にまで続いたら、感情は、ずっと押し殺したままになってしまいます。
学校は、成績をあげることを目的とした授業やスポーツなどの練習に忙しく、「活動」をすることが軸になっています。そこには、ゆっくりとした時間の流れの中で議論する場、気持ちを自由に出す場がほとんど存在しません。授業で求められる答えもたいていはひとつに限定されています。
でも、実際の人間の気持ちや考えは、みな、ひとりひとり違います。違って当たり前なのですが、そのことは、認識されないし、評価もされません。
子供たちが自由に自分の思うこと、考えること、感じることが表現できるような環境を作りたいですね。もちろん、国際舞台に立つためには、言語の習得もあります。英語の必要性は、もう論議の的になるものではありません。持つ、持たないの違いは、生き方そのものに大きな影響があるからです。
ICETのプログラムの目標のひとつは、そのふたつを兼ね備えることです。英語という言語が道具になるだけの力をつけること、そして、それが道具になるだけの中身を持つことです。中身を持つというのは、知識もあります。でも、それに加えて、気持ち、志、熱い心、自分の道を生きたいという強い感情が要ります。
最初にあげたコメントのように、生徒たちが感情を出すことを前向きに捉えていてくれることは、嬉しいことです。
自分の感情に素直に耳を傾け、それに対処することで、視界は大きく開けてくるのではないでしょうか。そして、生き方にも違いが出てくるのではないでしょうか。心配や不安を、新たな目的、目標、大きな志に変えることができれば、1日の意味が違ってきます。
そのためには、自分の感情に素直に耳を傾け、聞いてみることが大事です。それが、自分をいたわり愛することに、そして、周りの人々をいたわり愛することにつながって行きます。