学習は取りに行くもの
投稿日:2011年7月29日
日本には、なんでも揃っています。
痒いところに手が届くほどに、至れり尽くせりのサービスが至るところで感じられます。
すばらしく便利です。
それは、生活の中での物質的なサービスに限らず、教育の現場においても、まさに至れり尽くせり。学問は、与えられるものであり、子どもたちは、与えられるものを消化し、それを審査され、優劣が決められます。
この考え方や姿勢は、完全に子どもたちの意識の中に深く入ってしまっているように感じられます。
小学校から今までの学校生活は10年間です。その10年に積んだものは、なかなか簡単に変更することができないほどに深いものであることが、留学生活の中で感じられます。
私が、日々よく感じることがあります。人間というのは、ある年齢に達する前に学習してしまわなければならないことがあり、その年齢を超えてしまうと、相当の努力と意識がないと、変更することは難しいということです。それは、主に社会的な習慣のことなのですが、学習に対する姿勢にも同じことが言えるのではないかと思います。
日本人の留学生がオーストラリアに来て、なかなかできないことがあります。そのひとつは、学習に対して自ら動く、ということです。
わからなければ質問する。
次に何が必要なのかを考える。
言われなくても必要な情報を自ら求める。
意見を述べる。
自分のしたいことをするために交渉する。
課題を終了したら、次のレベルに挑戦する。
問題に遭遇したら、どう解決するかを考え、相談し、行動を起こす。
こうしたことが、実に難しいらしいのです。問題があっても、無視していたら自然に解消すると思うのか、それに対して、何の行動も起こさない。
こうした姿勢は、日本の学校環境であれば、決して珍しいものではありません。まず、そういう状況が起こるような環境がないこと、そして、もし、そういう状況が起こるようであれば、起こる前に対処がなされます。だから、こういう姿勢を養う必要も無ければ、養う機会も無いわけです。
オーストラリアの教育環境だと、こうしたことをしない生徒たちは、学習にやる気がないのだと見なされてしまいます。日本の高校生がこうした姿勢を持たないことは、すでによく知られていることなので、そうした姿勢を養うことが留学の最初から鼓舞されます。
それでも、なかなか身に着きません。待つことから、取りに行くという姿勢の転換は、極めて難しいことなのでしょう。
逆に、そうした姿勢を意識的の持ち、力強く臨む生徒は、グングンと伸びていきます。本人たちもその伸びを実感し、充実感を楽しむことができます。
日本でしばらく時間を過ごすと、「取りに行く」必要はどこにもないことを感じます。すべてが整っているので、取りに行く必要がないのです。そして、届かないものは、届かないと不平を述べるだけで事は済みます。
文化や習慣が人間に植え付ける意識の大きさや深さを感じます。これを転向することは、本当に難しいことなのですね。
でも、節電のように、今までのように、エネルギーが足りなければエネルギーの供給を増強すればいい、物は消費すればするほどいいという考え方から、消費を控えることに工夫を施す考え方に思考方向を切り替えれば、そこから無限の可能性が生まれ出てくることを今日本は全国で体験しています。
若者が、世界で活躍していくためには、「取りに行く」という積極性、進取の姿勢が必須のものです。学習も同じです。本当に伸びるには、「取りに行く」姿勢が要るのです。
まだ、待っている姿勢を保っている生徒たちには、なんとしてでも、その姿勢を残りの半年で身に着けてほしいものです。
将来、自信を持って世界に飛び立っていくために。そして、世界で活躍できるために。