よく歩いた!
投稿日:2011年7月27日
極めて豊か、便利、整っている・・・
それが、私が感じる日本です。
ここ10年余経済が低迷だったところに、今度の大きな震災。そして、悪化する世界の金融情勢の中で円高により、輸出はさらに落ち込む日本。
でも、ここ数日都心と都市圏を回って感じたことは、この国は、本当になんて豊かなのだということ、そして、実に、便利な国だということです。
若者も、企業の派遣も、この国を出たくない人が多くなってきたということですが、ここまで便利で豊かなら、それも無理からぬところかもしれません。
さて、よく歩きました。普段は、出発地から目的地まで車の生活。歩くのは、せいぜいブッシュウオークの5、6キロ程度なのですが、ここでは、駅の構内を上ったり下ったり、上ったり下ったり、みんなスリムなはず。
万歩計を持っていないのが残念なほど。
12年生が志望している大学訪問です。
短時間に多くの大学を訪問すると、それぞれに際立った特徴があることがよく見えてきます(受験はこれからなので、名前の公表は控えます)。
こんなに違うものかと、改めて驚いています。だからこそ、どこを選ぶかが、きわめて大事となるのですね。
校舎も、キャンパスの雰囲気も、サイズも、そこを歩く学生たちの雰囲気も、そこに至るまでの交通機関の中での学生の様子も、職員の対応も、みな、マチマチに違います。
静かなキャンパスもあれば、生徒たちがキャピキャピと華やかなものある。職員が熱心に説明してくださる大学もあれば、人ごとみたいな説明しかないものもある(これは、職員が大学を誇りに感じていないのか、単にたまたま前日の疲れからなのか・・・)。
過去問を配布するところもあれば、電車で小1時間も離れた別のキャンパスでコピーはだめだけれど、「閲覧なら許される」というところもある。本屋で買い求めよというところもある。どうして、みな、こうも対応が違うのでしょう。
方向音痴の私は、駅で尋ねたり、道行く人に尋ねたり。それでも、迷ったり、降りる駅を間違えたり。
もっとも、駅を間違えるのは、電車の中で読んでいる本に夢中になってしまうからで、肝心の駅を乗り過ごし、なかなか、その駅にならないなあ・・・と思って、時々名前を見るものの、しばらく経ってから、ああ、乗り越した、と思うようなドジ。
ある電車では、向かい側の席、両隣り数人、みな、私がこれから行く大学の学生に違いない様子です。みな、参考書やプリントを真剣に見ています。英語の小説を読んでいる学生もいました。携帯をいじっている学生がおらず、みな真剣そうだったことに、正直なところ少し驚きました。テスト前だったのでしょうか。それとも、普段からこんな感じなのでしょうか。
いずれにしても、日本の大学生がこんなふうに勉強していることに、安心し、嬉しく思いました。
キャンパス内では、できるだけたくさんの学生に声をかけてみます。どんな感じの学生たちなのか、なんとなくでもわかります。
ある地下鉄線では、たまたま向かい側の席に座った若い人が、いかにもこれから訪ねようとしている大学の学生らしき雰囲気でした。目元がなんとも涼しげ。ほかには、その車両には、学生らしく人はいない。この人、きっと、そうに違いない、と目をつけ(なんというはしたない表現!)、その人についていくことに勝手に決定。
本当は、駅で降りたら、駅員さんに出口や方向を尋ねる予定だったのですが、その必要なし。ひたすら、自分の勘を信じて、その人の歩く方向に、私も。
ほうら、やっぱり。じきに大学のこんもりとした森が見え、正門が見えてきました。ありがとう! 道案内。
まるで、ストーカーまがいなことをしてしまって。相手が、知らぬが仏で幸いでした。
まあ、一人で、勝手にそんなことを楽しみながら、そして、駅に貼ってある「空海と仏像」の展覧会や「古代ギリシャ」の展覧会のポスターに誘惑されながら、優先を間違えるなと自分に言い聞かせ、本当によく歩きました。
汗もたっぷりとかきました。何年ぶりでしょう、手の甲まで、汗に濡れるなんて。
今年は、過去になかった大学の志望が多いので、これで、12年生に自信を持って、いろいろな説明ができます。コースの内容も、大学の雰囲気も、そして、試験の内容やレベルも。