サファリ・パーク
投稿日:2010年10月3日
サファリと聞けば、アフリカを思い浮かべるのですが、オーストラリアにも、サファリ・パークが存在します。
シドニーから西北の内陸部に400キロほど行ったところにDubbo(ダボ)という町があります。1818年にJohn Oxley(ジョン・オクスリー)という探検家がこの地を通ったのが、この土地が後に発展するきっかけとなりました。それまでは、先住民のアボリジナルの人々が自由に生活していた地です。1851年に行われた国勢調査ならぬ人口調査では、28人の男性、19人の女性が住み、その2年前に村として登録されたということです。もちろん、この数字の中には、アボリジナルの人々の数は、まったく含まれていません。いわゆる白人と呼ばれる人々のみの数です。1966年に「市」になったDubboは、現在12万人の大きな町として、近隣の農業生産や交通の要所になっています。
シドニーからは、車で5時間半かかります。ICETの11年生で、DHSにいる生徒たち5人と一緒に出かけてきました(MLCの生徒たちには、別途機会を設けましょうね)。今年は雨が多かったので、途中の道は緑に囲まれていました。ここ何年も旱魃が続き、茶色の大地を眺めるのはとても悲しかったのですが、瑞々しい緑が広がる大地は生気を取り戻し、なんとも爽やかなものでした。そんな緑の中に、突然に黄色のカーペットが敷き詰められたところが飛び出してきました。
日本だと菜の花に相当するのでしょうか。こちらでは、canola (カノーラ) と呼ばれ、油を抽出します。まだ、つぼみが多いので、黄金色までには至っていませんが、でも、緑の中に広がる黄色の対照的な色模様は一際きれいです。
カノーラは、農業を営む人々に頭痛を与える種ともなっています。遺伝子組み換えの種子を推奨され育てる人々と組み替えに反対し本来の種からの栽培を続ける人々と、さらにそれに対する消費者や科学者の対立とが複雑に絡み合い、カノーラ栽培に従事する人々には、解決の難しい問題が突きつけられています。
正式にはTaronga Wester Plain Zooという名前なのですが、通称、サファリ・パークと呼ばれる動物園がDubboにあります。サファリと言っても、動物が自由に歩き回っているのではなく、できるだけ自然の環境に近いところで、でも、みな、囲いの中にいます。子供のいる家族なら、一度は、行きたいと思うところでしょう。休暇中でもあり、子供連れの家族でにぎやかでした。
300ヘクタールの広大な土地を5大陸に分け、それぞれの大陸特有の動物が集められています。幹線のみを走れば5キロということ。車で回るのではなく、自転車でまわることにしました。何(十)年も自転車に乗ったことがなく、ふらふらと覚束ない私に、「大丈夫ですか?」と問う生徒の優しい声かけや、道中付かず離れず、なんとなく見守ってくれている気遣いがとても嬉しかったです。
春なのでしょう。黒サイの赤ちゃん、シマウマの赤ちゃん、キリンの赤ちゃんなど、たくさんのbaby animalsがかわいい姿を見せていました。シマウマは、2メートルくらいの近さで観ることができたのですが、まだ、毛皮の色が鮮明にならないほどの生まれたてである印象を受けました。母親のサイの横に寝そべっている赤ちゃんサイが耳をピクピク動かしながら、小さな体を動かしている様子は、なんともかわいいものでした。ここにいたライオンは、見事な体格とたてがみを持ち、まさに百獣の王の貫禄を示していました。
メルボルンに大きな昔の刑務所跡が博物館として残されているのですが、ダボにもThe Old Dubbo Gaolというのがあります。19世紀の当初からの建築物も多く残され、当時の人々が刑務所の中でどんな生活をしていたのかが、人形や展示物で詳しく説明されています。
「牢獄とはいえ、牢獄の中にいるほうがずっと安全で、飢えに苦しむこともなく、自由があっても貧しい生活よりは、むしろ良かった人たちもいる。それほどに19世紀のこの地方での生活は厳しかった」という説明が印象的でした。
一人ひとりの罪状が詳細に述べられている資料がたくさんありました。女性だけが隔離されている場所には、風呂場や台所があり、そこで生活ができるようになっています。食べるのに困って生まれた子供を殺した罪で入った例がいくつかありました。
たまたま、なんとか逃亡しようとする女性囚人と半分だまされそうになる守衛との駆け引きを見物客に披露する芝居がありました。私がシドニーに住むようになった30年前には、Old Sydney Townを始め、植民地時代の様子を再現する場所がたくさんありました。エンターテインメントという要素だけでなく、歴史教育としてもすばらしい施設でした。それが、徐々に姿を消し、ここ10年ほどは、そうした施設がほとんど見当たらなくなってしまいました。久々に、こうしたお芝居に触れ、そうした場所がなくなってしまったことが改めて惜しまれました。
晒し首のための棒や絞首刑用の道具が展示されていました。日本が未だに死刑囚を絞首刑にするのは、19世紀のこことまったく変わっていないのだと思うと非常に複雑な思いに駆られました。
帰り道、Blue Mountainsに寄りました。去年、Cowraに行く際に、立ち寄ったのですが、濃い霧に包まれ、The three sistersを観ることができず、その無念さを挽回することができました。曇り空ではあったものの、「えっ、こんな近くにあったんだ!」と感嘆の声があがるほどに、岩がすぐ間近に見えました。