ホロコースト記念館訪問の記 (2)
投稿日:2011年9月5日
ホロコースト記念館を訪問して
記念館に伺う前に下調べしたHPでホロコーストとは全焼のいけにえ、とてつもなく大きな破壊、殺人を表す言葉として用いられ現代はユダヤ大量虐殺を表現する言葉と知り、原爆ドームや震災記念館で恐怖と不安を感じて息苦しくなった経験から、今回実際に足を運んで私はその場に立っていられるだろうかと思っていました。
しかしながら4年前に建てられたという記念館新館は、窓という窓から太陽の光が注がれ、柔らかな緑の中に立つ現代美術のような建物であり、内部は広く美しく整頓されたものでした。
ナチスの行動を憎まずにはいられない内容でしたが、学芸員の方がオットーフランクの言葉を引用され、この悲劇に同情するだけでなく何かをする人になってくださいという言葉に助けられ、展示を見ながら、私ならどうなる?どうしたい?どうする?と自問自答しながら最後まで丁寧に回る事ができました。
自分の正当性を声高に叫び、自分さえよければという周りに無関心な態度をとることこそが、人の優劣感を増幅させ平和を破壊していく要因であることも学びました。
子どもを持つ親としては囚人服を着て尚、笑顔で写る子どもの表情が可哀相で、我が子と同じ、その存在が何よりも大切にされ、夢を語り、輝く未来があったのにと思わずにはいられませんでした。
世界では戦火が止みません。通信機器が発達し将来を予測できるほどの力を持ちながら人の視野は狭くなっているのでしょうか。
相手を認め歩み寄れる考えを持つ事は出来る様で出来ない事なのかもしれません。優劣をつけている方が楽に出来る事なのかもしれません。ですが人は優劣を競うのでなく、持ち寄った互いの知識や想いを共有し工夫に富み、やはり人間は素晴らしいと感じて欲しいと思います
今年は震災、原爆記念日と祈る機会、考える機会がたくさんありました。ホロコースト記念館に行こうと思ったのも、その一つです。子どもが離れてて尚想いがあふれ、たくさん祈った気がします。何事につけても祈ってしまうのは、懸命に生活する子どもの様子が私たちの毎日の励みであり、我が子に幸あれ、未来あれと願っているからでしょうか。
久成亜希美