Mary MacKillop

投稿日:2010年10月15日

 Mary Helen MacKillop (1842-1909)

 ICET生の中でMacKillop Collegeに在籍した人たちには、とても馴染みのある名前です。学校のどこかで写真を目にしたこともあるでしょう。

 10月17日の日曜日、Mary MacKillopは、バチカンで、聖徒として認められます。聖徒というのは、キリスト教信者の中では、もっとも神聖かつ最高の名誉ある地位で、オーストラリアからは初めてです。敬虔な信者であればいいだけではなく、生きている間に、何度か奇跡を起こしたということがキリスト教の偉い人々によって認められないと聖徒の称号はもらえません。

 英語ではその儀式のことをCanonisationと呼びますが、その式典に出席するために、MacKillop Collegeからは校長先生始め数名が現在ローマを訪問されています。

 Maryは、1842年にメルボルンで生まれました。両親は、アイルランド系の出身で、お父さんは、イタリア人でローマで神父になるための教育を受け、それからオーストラリアに移民しました。8人兄弟の一番上だったMaryは、農業や事業で上手にいかない苦しい家計を助けるために、主にお父さんから教育を受け、同時に早い年齢から仕事に就きました。その中には、自分よりももっと貧しい家庭の子どもたちに教えることも含まれていました。

 1860年当時、Maryが住んでいた南オーストラリアは、まだあまり教育が普及しておらず、特にキリスト教による教育はほとんどありませんでした。Maryは、そこで、The Sisters of St. Joseph of Sacred Heartという学校を設立したいと願うWoods神父と出会い、二人で共同して創設し、そこで教えることになりました。

 その時に、MaryとWoods神父が約束したことがありました。

・貧しい子供たちのために働く

・貧しい人々と同じ貧しさの生活をする

・自分の持ち物(財産)を持たない

・神と教会が求めるところであれば、どこにでも赴く

といったようなことです。貧しい子供たちを教育する学校が、1869年までには、アデレードだけで21校にもなりました。Maryと70人のシスターたちは、孤児、親がいても面倒みてもらっていない子供たち、危険な目にあっている女児、貧しいお年寄り、死期を迎える病人などの世話もしました。

 Maryは、そうした学校をQueenslandにも拡げようとしました。

 こんなにすばらしいことをしているのに、世の中には、それを良く思わない人たちがいるのですね。それも、なんと、同じキリスト教の神父や司教たち、Maryよりもずっと大きな力を持っている人たちだったのです。彼らは、MaryやSisterたちの今までとは違うやり方を好まず、Maryを破門してしまいました。

 破門は、やがて解かれるのですが、Maryは、The Sisters of St. Joseph of Sacred Heartの方法で教育を続けるために、それを最高峰のローマ法王に認めてもらうおうとローマに向けて旅立ちます。

 ローマで何が起ったか。法王にMaryとsistersたちの仕事ぶりを褒められ奨励されました。方法も認められました。でも、Sisterたちが貧困の中で暮らすという生活様式は改めるように言われたのです。

 (ちょっと話はそれますが、かつて、1200年頃、イタリアのアッシシ出身の聖フランシスコが、教会が貧乏人からお金を集めたり、莫大な富を持つことに反対し、とても、とても貧しい生活を自分に強い、そして、教会のモラルを批判したために、彼は、激しく弾圧されました。Maryのケースもそれに似ているのかもしれません。Maryにそんな貧しい生活をしてもらうと、大変にぜいたくをしている他の聖職者が困ることになるので、彼女が邪魔であり、脅威だったのかもしれません。)

 約束の事柄を法王に認めさせなかったとWoods神父が怒り、二人の間に溝があいてしまいました。でも、Maryとsistersの努力は絶えることなく続き、学校の設立は、全国に、そして、ニュージーランドへと広がっていきました。

 その間、Maryに対する教会内のいやがらせはずっと続くのですが、Maryは、めげることなく、神のために、子供たちのためにと活動を続けました。

 信仰の力、そして、社会的な貢献は、なんと強い力と勇気を人間に与えるものなのでしょう。

 そんなMaryに、強力な協力者もたくさん出てきて、多くの子供たちがその恩恵を受けることができました。Maryは、18世紀の終わりに、この地に白人の囚人や入植者が移民してきて以来、ずっと虐げられてきたアボリジナルの人々のための教育が必要であることを主張した最初の人だとも言われています。いずれにしてもアボリジナルの人々に教育を導入した功績は極めて大きなものです。

 リューマチを患っていたMaryは、1902年発作を起こして右半身不随となり、その後は、車椅子の生活となり、1909年にシドニーで亡くなりました。

 Mary MacKillopは、キリストと同じように、死にかけている人を元気にさせたり、もう絶対直らない癌にかかっている人を全快させるといった奇跡を起こしたといわれています。

 これからは、Saint Mary of the Crossという名前で呼ばれるそうです。

 以上、Mary MacKillopに関する情報は、テレビのニュース、Canonisationに関する特別番組、Australian Dictionary of Biographyなどから集めたものです。

 10年生は、10月22日からMacKillop Collegeを訪問します。校長先生がローマから25日に戻られますので、とても特別なお話を伺うことができるかもしれません。亡くなってから100年余を経た今、Maryが聖徒として認められることは、オーストラリアにとっては世紀のできごとです。そんな時に、MacKillop Collegeを訪問できることは、幸運なことですね。

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