豪留学生
投稿日:2011年9月29日
毎年、数名のオーストラリアの生徒が、岡山学芸館高等学校でお世話になります。
今年も、そのメンバーが確定しました。
Gosford HSからは、
Kiara Wolski (キアラ・ウォルスキー)さん
Sam Lyoo (サム・リオ)君
James House (ジェームズ・ハウス)君
MacKillop Collegeからは
Tom Connellan (トム・コネラン)君
Davidson HSからは、
Jordan Lew (ジョーダン・ルー)君
Tamsyn Spicer (タムゼン・スパイサー)さん
そして、一足先に留学が始まっているOxford Fall Grammar SchoolからのDavid Shannon (デイビッド・シャノン)君の8名です。
デイビッド君以外は、みな11月半ばから12月のクリスマス前までお世話になります。
岡山学芸館の英語科の1クラス全員が留学という画期的なプログラムが始まったのは、1990年です。
当初は、交換留学だったので、学芸館が受け入れるオーストラリアからの学生数も相当いました。10年生の義務教育修了試験が以前は7月にあり、11年生にあがるまでの半年は、学校が喜んで送り出せる条件が整っていました。
交換ですので、ポイントを満たすには、日本人生徒が1名1年出るためには、豪生徒2名が半年ずつ日本に行くのですが、当時は、オーストラリアにおける日本語学習熱は登る一方で、日本に行きたいという生徒がたくさんいました。1年間の留学を希望する生徒も稀ではありませんでした。
日本サイドでは、全く違う文化から来た豪生徒を受け入れるために、奥村進氏を会長に、「グローバル・ビレッジ」が設立されました。頻繁に会合を開き、互いに学習しあい、支えあい、時には、慰めあい、学芸館の特別なプログラムを支援するために、また、国際協力のために大変ご尽力くださいました。
オーストラリアに留学してくる生徒たちが、意思はあり、願望もあり、意欲もあるのに、文化に混じることも、自ら話を始めることも、そして、ホストの生活のリズムに溶け込むこともなかなか思うようにはならないように、豪生徒たちも、一生懸命やりたい、日本語をたくさん覚えたい、役に立ちたいと願っているにもかかわらず、なかなか受けてくださる方々のご希望に添えないことが多々あります。
あまりにも文化が違う、ということがまず第一番の原因でしょう。
性格や社交性も影響します。16歳あたりの年齢で、誰でもが、どんな人とも上手にやれる社交術をもっているわけではありません。むしろ、そんな子のほうが圧倒的に少ないでしょう。
その上に言葉の壁があります。
いろいろ質問するけれど、なかなか返事が戻ってこない。会話が続かない。
ホストは、あれもしてあげたい、これもしてあげたいという気持ちが逸ります。でも、生徒は必ずしもそれに望むように応えてくるわけではありません。
一緒に暮らすことは決してらくなことではありません。そうした中で、悩みがたくさん生まれます。こういうときにはどうしたらいいんだろう、という。グローバル・ビジッレは、それに応えるものであり、そして、お互い協力して留学生全員を一緒にケアしましょう、という団体でした。
時代が移り、いろいろなことが変化してきました。
まず、交換留学生は、1人か2人で オーストラリアのいろいろな学校に散ります。豪に留学してきた生徒たちの1年後の学習成果は、ピンからキリまで。その違いはあまりに激しく、到底教育関係者が黙ってみていられるものではありませんでした。きちんとした成果が出る学習システムの確立が火急の課題となりました。ここから、誕生したのがICETです。
一方、オーストラリアの学校制度にも変化が起こってきました。ひとつは、国際的な流れの中で、中国の経済的な台頭に比例して、中国語を学習する生徒の数が増え、日本語の学習熱は徐々に下降線をたどるようになりました。
また、義務教育修了試験は、7月末から11月半ばに移行されました。半年ポーンと飛び出すようなことができなくなったのです。そして、1年間日本に行きたいという生徒は、徐々に少なくなり、ここ10年は皆無です。日本語を習っても将来あまり意味を持たないかもしれないという実際的な理由とともに、1年遅れるという問題があるからです。
ICETに留学してくる日本人の高校生は、翌年日本で次の学年に進級ができます。文部科学省がその教育的価値を認め、その期間に対して単位を認定するからです。オーストラリアの教育システムには、その認定がありません。
豪留学生の数が減少するにつれ、留学生のケアは英語科と国際センターに移行され、グローバル・ビレッジは解散となりました。
当時から関わってくださった方々の中には、グローバル・ビレッジにノスタルジーを感じられる方々が多くいらっしゃいます。豪からの留学生を通して非常につながりの濃いグループだったからでしょう。
現在は、オーストラリアからの生徒たちは、英語科の生徒のご家庭が中心となってお世話いただいています。
去年は、布野さん、三宅さん、藤木さん、山田さん、河崎さん、笠井さん、中田さん、岡本さん、大村さん、そして、学校外部から明石さんに受けていただきました。(改めて御礼申しあげます)。
今年も、いろいろなご家族にお世話になることと思います。気負うことなく気楽に受けていただき、子供たちの一生懸命やりたいという気持ちを上手に引き出していただければ幸いです。
一緒に過ごす時間は、子供たちの心の中にずっと残ります。
10年余も経ってから、「ホストファミリーが」という言葉ではなく、’My Japanese mother…” ”My Japanese family…” という言葉で懐かしく語る豪生徒に出逢うことがたまたまあり、そこには、深い愛情が相互に流れていることを感じます。