Boundary 7
投稿日:2011年9月30日
古代エジプトでは、「上手な人間関係をきずくことが、最高のアートである」という観念があったという話を聞きました。
人々の感情の機微、置かれた社会環境、そこにいたる歴史的背景、前後に起ることで刻々と変わる状況、その他無限にある条件の中で、それなりの「秩序」と「調和」と「美」をなし遂げ、しかも、維持していくことは、まさに、アートです。
親子、夫婦、兄弟姉妹、友だち、先輩後輩、同僚、上司、部下、先生、生徒、とみんな社会の骨組みの中で設定された立場で、互いの間にboundaryがどこにあるのかを模索し、試し、失敗したり上手にできたり、親密になったり、離れたり、さまざまな試みと結果を経験します。
みんな、人間関係で、どのくらい苦労していることでしょう。
社会的上下関係があれば、多くの人間が、その力を利用しようとします。会社といった組織の中だけではなく、仕事を離れても、その「力」関係は続行します。
組織に関係ないところでの人間関係にも、「力」は影響します。どの関係においても。
「親しき仲にも礼儀あり」
の言葉どおり、どんなに親しくなっても、ある線(boundary)を越えたら関係は崩れます。
相手の尊厳を傷つけるだけでなく、自分の尊厳も失われます。
時期フランス大統領と目されていたIMFの前専務理事ストラウス-カーン(日本ではストロスカンと表示)氏の失脚。あまりにも大物すぎ、しかもアメリカの意向に沿わない人物であったために罠にはめられたという説があるものの、根本は、出すべきではない手を出した行為で社会的に葬られてしまいました。
彼が蒙った社会的恥辱と尊厳の喪失は、ステータスの失脚など比較にならないほど大きなものでしょう。
たいしたことはないという、「甘さ」「驕り」が彼の理性の目を見えなくしてしまい、boundaryを越えてしまったものでしょう。自分の「力」を過信したのかもしれません。あるいは、これまで見逃されていたものの、こうした行為を惰性で続けていたのかもしれません。
社会的な地位や名声がその人の人格を表すものではなく、その人の人格は、その人の尊厳にあるのだということなのでしょう。
簡単に越えてはいけないboundaryを越えてしまう事件は、日本の政界や経済界ではあまりにも多く、起ってももう誰も驚かないほどに日常茶飯事化してしまっています。法曹界、教育界にすら、理性の目を開けていない人たちがたくさんいます。
そこには、力の過信というよりも、見る目を養ってきていない未熟さが覗われます。そして、「甘え」と「惰性」が見られます。
その罠に落ちないためには、どこにboundaryがあるのかを知り、そして、その一歩前で留まる訓練をすることが若い年齢から必要なのだと思います。
「三つ子の魂百までも」といいますが、その子の持ってうまれた才能、性質もありましょうが、この年齢までに子供たちは、親を初めとする周りの人々との間で、どこまで自分のboundaryを拡げることができるかをあらゆる機会をとらえて親にチャレンジしています。
小さな子供連れの親子を見ていると、子供が、その術を試している様子がよく見られます。
それまでに覚えたことは、その後にずっと続いていくものです。
親にとっては、とても難しい決断を迫らる瞬間です。でも、その瞬間は、日々、何十回とある瞬間でもあります。
子供の好きなようにさせてやるか、それとも、ダメを出すか。
好きなようにさせてやれば、甘えを助長することになるかもしれない。ダメを出しすぎれば、子供の世界は広がらない。
どこで、線を引くかが問題となってきます。
いつも好き放題にさせたら、わがままになっていくでしょう。
いつもダメだと言っていたら、ゾウさんの話のように、そのうちに、外に出たいとは言わなくなり、そして、外に出たいとも思わなくなるかもしれません。
親の線引きの基準が求められます。
場当たり的な判断ではなく、またその時の機嫌によってではなく、基準を持っていて、その基準が子供にもきちんとわかって納得の行くものであることが大事なのでしょう。
もっと大事なのは、その線がブレないということでしょう。
つまり、親のboundaryがぶれなければ、子供のboundaryは徐々にしっかりと確立してきます。
学校でも、先生と子供たちは、毎日、このboundaryをどこにするかのバトルに追われます。
明確なboundaryのある先生に対しては、生徒は好き嫌いにかかわらず、あの先生はこう、という理解を持ち、それなりにふるまいます。厳しいと愚痴をこぼしながらも、たいていは従います。そこに、ブレないものを感じ、従う意味を納得できるからなのでしょう。
先生が明確なboundaryを持たないと、子供はブレます。そして、要求は、次から次へと出てきます。
どこにその線を引くのか。
難しいことです、親にしても、教師にしても、boundaryをどこにおけば愛と躾が見事に実るのか・・・