太平洋の彼方に馳せる想い
投稿日:2011年10月4日
桂浜に旅をされた渡邊さんからご寄稿をいただきました。
「高知 桂浜にて太平洋を臨んできました。
水平線の彼方、7,800kmがキャンベラとあり、水平線の向こう側に続いているはずの海が時間と場所を越えて一気に繋がりました。
「この海は繋がっているのだ・・・・」
訳もなく、はるか昔に読んだ「コンチキ号漂流気」が頭に浮かびました。
ノルウエーの考古学者 トール・ヘイエルダールが ポリネシアの人々は東南アシ゛アからメラネシアを経て、島伝いにポリネシアに移住したという、それまでの学説に対して、イースター、タヒチ、サモア諸島など南太平洋の島々の遺物とペルー、インカの遺物に共通点があるという民俗学的考古学的見地から、南米から渡ったものとの確信をいだき、古代から使用されていたバルサ材でいかだを組み、ペルーからポリネシアに航海に出、3ヵ月後にポリネシアにたどり着き、学説を証明する・・・といった内容であったと記憶しています。
また、坂本龍馬記念館に足を運び、土佐清水から船の遭難でアメリカに渡った「ジョン万次郎」の資料を見ました。
ジョン万次郎の伝記等は何度も読んだことがありますが14歳で遭難し、アメリカの捕鯨船に救助され、生まれて初めて、世界地図を目にした万次郎は、さぞや驚いたでしょうね・・・・。
鎖国にあった日本において、水平線の向こうに自分達と違う国があるなど、思いもしなかったことでしょう。
14歳という若さもあり、共に遭難した3人がハワイで下船したにもかかわらず、自らの意思で捕鯨船に乗り込み、アメリカに渡ったのも、「自分の知らない世界を知ってみたい・・・、この海の彼方に何があるのだろう・・・」そんな気持ちからだったのかも知れませんね。
人の運命とは不思議なものですね。
日本にいれば貧しさゆえに読み書きもできない漁師のままで終わったであろうに、遭難という人生最大のトラブルに遭いながらも努力し学び、帰国後は東京大学の教授にまでのぼりつめるのですから・・・。
この数奇な運命を乗り越えるのに、どれだけの勇気と努力がいったことでしょう。
それはまた、人間の限りない可能性といったものを感じさせずにはいられません。
捕鯨船の船長があるときジョン万次郎に質問します。
‘There has be iron in a man before there is iron in a whale`
(鯨に鉄のもりを打ち込む前に 鉄の筋金入りの男であるべきだ)という意味のことだそうです。
それに対し、万次郎はしばらく考えて「自分の中の鉄を大切にします」と答えています。
その自分の中の鉄というのが、置き換えれば「志」なのだと思うのです。
ここで考えたのが、この間から房枝先生がブログで書かれている「Boundary」です。
日本の、それも土佐という狭い狭い囲いの中から、遭難といった不幸なトラブルが発端であったにせよ「Boundary」を越えて一人の少年が飛び立った。そして自分の運命を自らの力で大きく切り開いていった。
その存在が「坂本龍馬」という時代の風雲児の目を開かせ、鎖国から開国へと日本という国が大きく動いていったのですね。
時は流れ、時代は変わり浜辺で拾ったコルク栓を手に「海の向こう」の見果てぬ世界に思いを走らせなくてもインターネットを繋げれば地球の裏側のことまで瞬時に知ることができる世界に今、私たちは立っています。
取り払うことのできた「壁」以上に、新たな「壁」ができてもいきます。
ひとりひとりが意識を「変革」していくことによって共生の世界を築いていかなければ・・・この海は繋がっているのだから・・・
少々、話しが飛躍してしまいましたが、広い海原をみていて、普段は考えもしないことが次々と頭に浮びました。小さな旅の雑文記としてお便りさせていただきました。」
渡邊 里佳子
渡邊様、ありがとうございました。広い世界に、子供たち同様、夢を馳せ続けたいですね。