Boundary 8

投稿日:2011年9月30日

 力を虐げられてきた人々が国民としての権利と自由のboundaryを拡げているのが、アラブの春です。

 エジプトから始まった動きは、シリア、リビア、イエメンへとあっという間に広がりました。

 遂に、パレスチナも、国連という場で、自らを国家として認める国連加盟を申請しました。ここでも、国同士の関係において、そして、人々の意識の中の「パレスチナ」という概念のboundaryの変更を求めています。

 当然、その動きを捉えてのことでしょうが、サウジアラビアが、次回の選挙(2015年)から女性に投票権と議員に立候補できる権利を与えると、国王が発表しました。この国でも、社会的立場を仕切るboundaryが大きく移行される動きが始まっています。

 これら一連の動きは、インターネットという新しい文明の利器により、同じものを求めているのは自分たちだけではない、求めてもいいのだ、虐げられたままでいなくていいのだ、と即時にしてわかったからに違いありません。市民、国民の連帯がこんなにも偉大な力になることに勇気を得たのでしょう。

 ゾウが柵を蹴って動きだしたのです。それも、巨大な数で。

 既成のboundaryは、凄いスピードでいろいろなところで破壊され、新しいものに入れ替わっていきます。

 金融面での「緩和」や「規制」もboundaryの塗り替えです。

 クローンや遺伝子の使い方も、過去にあったboundaryはどんどんと新しいものに入れ替わってきています。医学や科学の進歩は、それをさらに進めるためには、過去のboundaryはそれを妨げる邪魔にしかならないからです。

 その善し悪しは、時間が経ってからでなければわかりません。

 どのような領域においても、世界は、これからどのように動いていくのか見当もつかない時代に私たちは直面しています。

 では、その中で、しっかりと生きていくためにはどうすればいいのか。

 私は、ふたつのことが大事だと思っています。 

 ひとつは、尊厳を自分の中に培うことです。これは、自分を大事にする、人々を大事にするという精神から生まれてくるものだと思います。

 「自分を大事にする」ということは、「わがまま」からは、程遠い観念です。わがままを捨てないと、「自分を大事にする」ことはできません。

 わがままは、自分の生の欲望を通すことです。

 自分を大事にするということは、周りにいる人々を大事にし、自分に課された責任を果たし、自分の中の自信と誇りを感じ、周りの人々からの信頼を得るということです。

 そこには自然と、好き嫌いがベースではなく、相互の信頼と尊重のバランスが取れた関係が築かれてくるでしょう。

 それは、まず、家庭の中から始まります。

 そして、この姿勢は、学習にも仕事にも、どんな場面においても物事に対処する根本になっていきます。

 もうひとつは、精神の自由を大事にすることです。

 柵につながれたゾウにしてはならない、ゾウになってはならない、ということです。

 人間の最も美しいもの、それは、精神の自由だと私は考えます。

 人間は、肉体というものに拘束されています。これは、表に見えます。だから、人々は、この見えるものに、多くのエネルギーを注ぎます。

 社会にはいろいろな仕来りや礼儀やルールがあり、人間は、これにも拘束されます。これから外れたら、「自由」を失う結果となりかねません。だから、これにも多くのエネルギーを費やします。

 しかし、唯一、自由なものがあります。

 志です。

 大風呂敷と呼ばれようと、夢物語と言われようと、理想でしかないと言われようと、そんなことは人が言うこと。

 自分の大きな大きな夢とデッカイ理想に突き上げられて、人間は動くことができます。

 志を実現するためには、そこにかける梯子が必要です。

 その実践力はどこで養うのか。小さな頃からのたくさんの体験といろいろな事への挑戦の連続からだと私は考えています。

 日本は未曾有の災害に見舞われています。それも連続で。

 津波と原発は、あまりにも残酷であったために、そして、あまりにも大規模であったために、日本の社会は確実に変わると思いました。

 あまりにも人間の生活の営みを根本から変えてしまうものであったために、変わらなければならないはずでした。

 きっと、見えないところではいろいろな変革が起っているのでしょう。

 でも、考え方や政治的な風土は、そして、戦後の復興を成す中で築かれた社会機構の惰性的風習は、驚くほどに同じ方法が踏襲されているように見えます。世界全体がものすごいスピードで変わっている、というのに。

 まるで、そこから抜け出ることが恐怖であるかのように。あるいは、その方法しか知らないかのように。

 だからこそ、16歳という年齢で、自分のboundaryを国外に拡げた子供たちの勇気を讃えます。物理的なboundaryだけでなく、国際的な視野からでっかい志を抱いて欲しいのです。

 そして、その年齢で子供を海外に手放された親御さんの勇気に心からの敬意を表します。

コメントをどうぞ

お名前(必須)

メールアドレス(必須)

URL

ブログトップへ戻る