西南への旅
投稿日:2010年11月5日
8日間のビクトリア州への旅は、あっという間に過ぎてしまいました。シドニーに戻ってきてからすでに5日。残りの1ヶ月の計画に従事する毎日の中で思い出すと、そこだけに何か特別な空間ができたような感じです。まるで、夢だったか、というような。生徒たちが新しくできたお友達と交信を始めていることは、それを過去の空間で終わらせてしまうのではなく、未来へのつなぎとしていくためにもとてもいいことです。
過去十年近く続いた旱魃から、去年ようやく抜け出たNSW州とビクトリア州には、再び美しい自然が戻ってきました。シドニーからスワンヒルへの道は、ここ10年枯れた茶色の荒れた大地の中に、たまに緑のパッチが見えるくらいのものだったのですが、今回は、900キロ余の道の両側に眺める大地は、すべて新鮮な緑に覆われ、羊や牛の群れもたくさん見られるようになってきました。雨の恵みは、なんてすばらしいのでしょう。
その中に時々、紫の花が広がっているところが見え、遠くから見るとラベンダーを栽培をしているかのようにみえます。でも、その花は、かわいい姿を皮肉られているかのように、Paterson’s Curse(パターソンの呪い)と呼ばれているのです。元々は、アイルランドから来た外来種なのだそうですが、家畜が食べるとお腹をこわし、死に至ることもある雑草だということで、そんな忌まわしい名前がついてしまったのでしょう。外来種は、オーストラリアの大地には合わないものが多く、ラクダ、ウサギ、鯉、ひきがえるなどの動物も、甚大な被害を及ぼしています。
右も左も地平線まで広がり、その中を走るのは、私たち2台の車だけ。沈み行く太陽が向かう先の空を黄金色に染め、それと並行するかのように、後方から丸い月が上がり、空の闇が増すごとに、月の白さが濃くなり、やがて、満月の大きな月が空に輝く様は、宇宙の神秘に包まれていることを実感する時間でした。
1時に学校を出発。シドニーを出るまでに交通渋滞で時間がかかり、Wagga Waggaには、8時近くの到着となりました。
翌朝は、スワンヒルに正午の到着を目指して、6時出発。2日目の旅は、たまにすれ違う車があるだけの道。車の中からは、生徒たちの期待が高まっていくのが感じられます。11時少し前に、州境になっているマレー河にかかる橋を渡ってビクトリア州に。ついに来たと大喜び。Welcome to Victoriaという看板の前で写真を撮っていると、通りかかる車の多くがクラクションを鳴らして、生徒たちの到着を歓迎してくれたのにはびっくり。生徒たちも、車が通ると、手を振ったり、”Hello!”と大きな声で応えていました。
このマレー河は、何本もの支流に分かれ、日本がいくつも入ってしまう広大なビクトリア州とNSW州の農地を潤ってきたのですが、ずっと続いた旱魃で水量が極端に減り、農民の水確保は死活問題になっていました。ごく最近、水の分配方法と将来の水の保全と確保について政府案が出され、それに対する農民たちの反発と怒りは、オーストラリア人がこんなに怒るのを見たことがないほどに強烈なもので、その凄まじさは、連日ニュースの大きな項目のひとつになっていたところです。スワンヒルでホストを引き受けてくださったお家の一軒も農場で、「200キロも離れたところで開かれる会議に出席しなければならない、でも、何よりも大事なことだから行かなければ。政府案を通すわけにいかないんだ。」と言ってみえました。
スワンヒルには、予定通り、12時に到着。学校は、土曜日なのに、パターソン校長先生が日本の国旗をオーストラリアの国旗とアボリジナルの旗と並べて揚げて待っていてくださいました。日の丸の国旗は、私たちが滞在する間、ずっと、学校の前に揚がっていました。こんんふうな歓迎を受けるのは、本当に感慨深いものでした。
学校の玄関で、ホストファミリーに迎えられ、それぞれがお世話になるファミリーに、みな緊張しながらも楽しそうな笑顔を浮かべて散っていきました。どんな1週間が展開されたのでしょうね・・・