喪失から創造へ
投稿日:2011年10月6日
Apple社の創設者、Stephen Jobs氏が今日亡くなりました。56歳の若さです。
彼が、2005年にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチの録音を聞きました。
とても、とても感動的なスピーチなので、かいつまんでお話します。タイトルは、「自分が夢中になれるものをみつけなさい」。
ジョッブズ氏は、3つの話をあげています。
1つめ。点と点をつなげる。点と点はつながる。
まず養子として出された生い立ち。生母は、未婚の大学卒業生で、生まれる子を養子に出そうと決めます。条件は、息子を大学に送るということでした。それを約束してスティーブをもらい受けた養父と養母は、ごく普通の家庭だったので、働いて貯めた全財産をスティーブの学費に使おうとしていました。それを見て、彼は、自分が勉強していることにそれだけの価値があるのだろうかと考え、中退することを決めました。
「なんとかなると信じてやめることにした。自分の直感を信じることにした。」
「お金もなかったし、食べるにも困ったけれど、ぼくはとってもその生活を楽しんだ。」
「好奇心と直感に従って出遭った多くのことは、その後に、本当に価値のつけようがないほどに貴重なものとなった。」
「その時は、とっても恐怖だったけれど、あとで振り返ってみると、その決断は、人生の中で自分が下したもっとも良い決断のひとつになった。」
彼はしばらく大学に留まり、取らなければならない単位をとる代わりに、興味のある講座に顔を出すようになりました。
そのひとつが書道でした。文字の美しさは形だけでなく、間隔や文字飾りや組み合わせなど、科学では説明できない美がそこにあることに魅力を感じ、感動しました。これが、10年後にマックの最初のコンピューターのきれいな複数のフォントが生まれることに結びついたのです。
10年前のたったひとつの一こまが。それも、通常に授業を履修していたら、決して、座ることがなかった教室でのことが。
「当時は、それがこんな形で生まれ出てくるなんてわかろうはずもなく、あとになって振り返ってはじめてわかる。でも、あの時には、感じた直感、運命的なものを信じることが大事だった。」
2つめは、夢中になるものとその喪失。
「ぼくが幸運だったのは、若いうちに自分が本当に夢中になれることが見つかったこと」
ジョッブズ氏は、両親の家のガレージで友だちと二人でAppleを開始しました。Appleは、10年の間に二人から4000人の従業員のいる会社に成長しました。マッキントッシュの製作にも成功しました。
ところが、
「ぼくは、首になった。あろうことか、自分が創った会社から。」
経営の専門家を雇い、その人とジョッブズ氏との見解の違いが日に日に大きくなり、遂に、物別れ。そして、会社の幹部は、相手方の見解に同調したのです。
30歳になったばかり。成功の真っ只中。自分が「先人から渡されたバトンを落としてしまったかのように感じ、謝ろうともした。」
そのあまりにも人目にさらされた負けざまに、ジョッブズ氏は、シリコン・バレーを去ろうと思ったようです。あまりのできごとに何ヶ月もどうしていいのかわからなかったといいます。
「でも、ぼくは、そこで気が付いた。ぼくは、相変わらず、大好きなんだ、自分のしてきたことが。それに夢中なんだ、と。だから、またやり直すことにした。」
「そのときには見えなかった。でも、Appleを首になったことは、ぼくにとってこれ以上ない最高のできごとだったんだ。成功しているという重圧が、初心者だという軽さに代わり、すべてのことに対して以前ほどに確実ではなくなった。それによって、ぼくは、ぼくの人生で最も創造的な期間に入る自由を得ることになった。」
続きは、また明日に。