目的
投稿日:2011年10月20日
4学期は、留学の最後の詰めのときです。
気持ちは日本に向きます。あと何日で帰れるという待ち遠しい気持ちと、あと何日しかないという後ろ髪引かれる思いが交錯します。
さらに、複雑なのは、ケアンズへのさんご礁と熱帯雨林の旅の1週間があまりに特殊な1週間であるために、教室内での学習の継続という現実、あるいは、同じ生活のリズムが毎日続く現実に、とても戻りにくくなるということです。
そこでは、虚無感が生じます。この虚無感は、日本に戻った際にも生じます。これは、国や文化に関係なく、また、好き嫌いに関係なく、留学を体験した人のほとんどに起る現象です。(このことについての具体的なことは、また、別の章で触れます)
そこに輪をかけて気持ちを複雑にするのは、毎日の生活における煩雑なできごとです。生徒たちは、氾濫する情報に囲まれ、日常生活の中では自分を囲む人々との関係、学習のプレッシャー、理想と現実のギャップなどに、押しつぶされそうになることがしばしばあります。
さらにまだその上に、生徒たちには、過酷なものが待ち受けています。それは、日本に戻った際の「留学の成果への評価」です。なによりも、生徒たちが恐れるのは、このことです。これについての詳細は、また別の章で触れますが、その恐怖をそろそろ感じ始めるのが、今頃です。
こうしたさまざまなプレッシャーに押しつぶされないために何が必要なのか。それは、「目的意識」です。
何のために留学してきたのか。
英語の学習だけのためにきたのか? 人生体験をするためにきたのか? 異文化の中に暮らし自国のものも含めて「文化」を理解するためにきたのか? 国際的な感覚を得るためにきたのか? 国際的な視野を広げるためにきたのか? ホストを含めたくさんの人々とふれあい交流するためにきたのか? 自分の能力を試しにきたのか? 人間的な成長を求めてきたのか? 自立するためにきたのか? 新しい挑戦を求めてきたのか? 自分の世界を拡げるためにきたのか? 未来への選択肢を大きくするためにきたのか?
ここにあげたようなことは、留学してきた一人ひとりが度合いのちがいこそあれ、みな、確実に成長と成果を得ていることです。
問題は、その成果のほとんどに目に見える形がないことです。測るものさしはありません。
留学の成果は、一生懸命やったという自信、やったらできるという勇気がこれからの将来生きる長い道でこどもたち一人ひとりの心の糧となることです。留学中に得た視野や知識はこれからの長い人生で、世界に向ける展望の中に表れるものです。コミュニケーションの道具として得た英語は世界を自分につなぐものとなり、他国の人々との交流に役立ち、これからの専門的な学習に役立っていくものです。
しかしながら、日本で待つものは、英語の試験というただひとつのものさしです。生徒が学習したいことの中身でなく、日本の偏差値でしかみえない「大学の名前」で留学が成功か否かと評価されることです。
このことが、生徒の恐怖なのです。これらすべての成果が、それだけのもので測られてしまう・・・
そうした恐怖やプレッシャーや日々の煩雑なことや虚無感から生徒を救うことができるものは、「目的意識」を失わないことです。
生徒は、さまざまな目的をもって留学にきました。自分の最大の成果を得るためにも、また、自分が最善の努力を尽くせるためにも、留学にきた目的が何であったかをしっかりと再認識することが、今、もっとも大事なことです。
そして、留学も大学も、さらにもっと大きな目的に向かってのひとつの過程、通り道、手段でしかなく、それが、自分の評価を決定するものでは決してないという意識をもつことが大事です。
さらにもっと大きな目的とは・・・・
自分がなぜこの時代にこの世界に生まれてきたか、自分がしたいことは何か、自分が出来ることは何か、自分の存在する目的は何か、です。
日常の生活は、厳しいことがたくさんあります。思うようにいかないことがたくさんあります。しかも世界は急速に変わりつつあります。そんな中で、自分が向かう大きな像があること、自分の生き様を支えるものがあることが、自分を失うことなく、そして、自分の生き方に自信を持てることにつながっていきます。
目的意識をもつことは、来年留学に来る生徒も、これから日本に留学していく生徒も、そして、人間誰もが必要とすることです。
追伸
ケアンズへの旅は、抜群のタイミングだったようです。今週は24時間で200ミリもの降雨があったいうことで、滝も河も氾濫している映像がニュースで流れています。7日間お天気に恵まれた彼らは、なんてラッキーだったのでしょう。