特別賞
投稿日:2011年11月20日
毎日たくさんのことがあり、ブログへの掲載が少し遅れ気味です。
14日に、日本から、ユリナさんのご両親が訪ねてきてくださいました。この機会を利用して、ユリナさんに特別賞が渡されました。
かつて、私がシドニーに住み始めた頃は、オーストラリアでは、日本語を習う学生が徐々に増えている頃でした。日本文化に関心があるからというのもあれば、オーストラリアと日本の貿易が盛んになり日本語への需要が高まるからだというものもありました。
そのピークは、10年前くらいでしょうか。今は、急速に数が減ってきています。その一方で、新しい需要が出てきています。オーストラリア人と日本人の間に生まれたハーフの子供たちの日本語学習です。
どちらの言語を主体にするかというのは、ふたつの文化の間に生まれた子供たちを持つ親の共通の関心です。もちろん、父親と母親の両方の言語を同じレベルで子供に持たせたいというのは、どの親の理想でもありましょう。
現実は、簡単なものではありません。言語は、生活に基づいて発達するものと、体系的な学習によって発達するものとが交差します。
英語と日本語のようにまったく違う言語を同等に子供に授けるためには、親が生活環境をそれなりに整える必要があります。しかしながら、英語環境の学校に通学すれば、母国語は英語になってきます。英語環境の中にいて、日本語環境を保つことは、極めて難しいことです。
このトピックは、話し始めたら止め処なく続きますので、ここでは、なぜ特別賞が出たのかだけに的を絞ります。
日本人の両親を持ってオーストラリアに生活するこどもたちと、文化と言語の違う両親を持った半分日本人の子供たちのために、土曜日に日本語学校を開いていらっしゃる方々がいらっしゃいます。みなさん、ボランティアで活動されています。
中心になって動いてみえるのは、シドニー日本人学校に文部省から元派遣されていらしたシーン宏子先生です。土曜学校のある場所がDHSのすぐ近くなので、ICETの生徒さんにお手伝いいただけないか、というお話が4月頃にありました。
地域社会の活動の中に混じることは生徒にとっては大切なことですし、幼稚園児から中学校の始め頃の年齢の子ども達に教える機会は願ってもないものですので、生徒たちに希望を募りました。
結果的には、そこから始まって2学期間約14週間にわたり、お手伝いをすることになりました。
ユリナさんは11回。それに継いだのが10回のランナさん。合計15名の生徒たちがこのお手伝いに参加しました。
毎日英語を学び、英語で他の教科を学習し、英語で生活するのは、想像するほどにらくなものではありません。時には、耳をふさぎたくなるほどに、英語はたくさん!と感じることもあると言います。
月曜日から金曜日まで朝から夕方まで学習で追われている生徒たちにとって、土曜日の朝は、別天地のはずです。目覚まし無しでお寝坊したいというのが本音でしょう。(もっとも、スポーツのある生徒たちは、そんなことは言っていられないのですが・・・)
その土曜日の午前中を10週以上にわたって返上してのお手伝いです。特別でないはずがありません。
ユリナさんは、数だけでなく、毎週6名のチームを編成するためにみんなに電話し、連絡調整し、シーン先生と連携を取ってきました。その努力をご両親の前で称えることができたのは、喜ばしいことでした。
タムゼンとジョーダンのランチタイムと放課後の日本語レッスンでは、13回というダントツの数で二人に協力した生徒がいました。これも特別賞にあたいしそうですね。
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タイキ君は、Bare Creek Trail Runという10キロ走行のコンペで1位になり賞金を獲得しました。いったい、どれほどのメダルと賞を得ているのでしょう!! 毎朝、一人で10キロ走るという努力の賜物ですね。
おめでとう。