生きる力
投稿日:2010年11月14日
西南への旅の続きの話がなかなか書けないまま、まだ終わっていないのですが、時は、どんどんと流れ、その間に毎日のように何かしらの催しがあり、過ぎた時間は、遥か後ろにと置き去りにされていってしまいます。
日本では、「生きる力」という言葉がよく使われます。生きる力をつけるための新しい教育論、教育法も生み出されています。「生きる力」という言葉を英語に置き換えようと思うと、いろいろ考えてしまいます。それに相当するような言葉がないのです。
日本語でも、これをどういう意味かと考えると、不思議な言葉なのです。この言葉が生まれてきたのは、自立できない、逞しく自分の人生を切り拓くことができない、自分で考える能力が養われていない、自主的に動くことができない、依存の人生でしかない、どんな生き方をしたいのかわからない、夢すら持っていない、という状態にある若者が、いや大人も含めて、あまりにも日本には多いゆえではないかと思います。
村上楓さんは、その生きる力を思う存分発揮し、人生を逞しく開拓し、充実した毎日を楽しんでいる卒業生の一人です。
2008年に盛岡中央高等学校からたった一人でICETに留学して、MacKillop Collegeに配属になりました。岡山、東京、大阪、滋賀からのすばらしいクラスメートにめぐり合い、家族として受け入れてくださったThompson一家の暖かな愛に包まれ、実りの多い1年を過ごしました。
でも、彼女の1年は、バトルの連続でした。そのバトルの模様は、盛岡中央高等学校出版の「国際教育への架け橋」の中に彼女自身が書き綴っています。
”How are you? “の意味を知らないで留学してきた、と彼女自身が笑うのですが、そこから始まった英語圏での生活がどんなものであったかは想像に難くないでしょう。大変な、でも、本当に中身の濃い1年であったことは間違いありません。
私が感動したのは、彼女が決して挫けないことです。どんなに涙を流す瞬間があっても、すぐにそこから立ち上がり、次の挑戦に向かい、どんな挑戦があっても、そこから逃げず、ころんでもころんでも立ち上がり、どんなに高い壁にぶちあたってもへこんでしまわずそれを超えようとする彼女の姿勢に、何度感動を分けてもらったことでしょう。常に前に前に、と積極的に出ていくのです。
これが生きる力というものなのかもしれません。
帰国後の1年は、中央高校が毎年開催する国際フォーラムの実行委員長として活躍。
その後、念願の専門学校に進学しました。その目的は、国際グルーズ船のアテンダントになる、というものです。学校が始まったのは、今年の4月です。半年も経たない11月、彼女は、地中海を回遊する大型クルーズに研修生として乗船。わずかの期間で、彼女は、自分の夢を掴み始めていました。
数日前に、文部科学省の調査では、今年の日本の大学生の就職内定率は10月現在で60%を割るという数字が出ているというニュースがありました。22歳で未来に大きな不安を抱く若者が多い社会にあって、18歳で夢を掴んでいる楓さんの笑顔が大きく明るいのとは、未来に待っている生活が自分の望んでいたものであることの確信があるからです。
高学歴を求められる社会の主流に関係なく、自分の夢に向かって自らの人生を切り拓いていく勇気と決断力と実践力を持っているからなのでしょう。そして、それを支援してくださる方々を彼女は自分の側につけている、ということなのでしょう。