卒業おめでとう (5)
投稿日:2011年12月9日
以下、DHSの先生方とホストファミリーに向けての私からの御礼の言葉です。
なんというスタートを切った年だったでしょう。クイーンズランドとビクトリア州での洪水、クライスト・チャーチの地震、そして、日本の地震と津波。
これらの自然災害は、ICETのプログラムの運営にも影響がありましたが、今年の生徒たちが戻るところは、彼らが知っていたものとは違うものであることは確かです。
通常の状態においてでも、1年留守にした後の自分の国や文化を生徒たちは違うものとして受け止めます。
みなさんは、「境目をつなぐ人々」という言葉をお聞きになったことがありますか? それが、この生徒たちであり、そして、この会場にお集まりいただいている皆様方です。
キリスト教徒とかイスラム教徒、西洋と東洋といった観念的な違いだけでなく、学校とか家庭という実際の日常生活における習慣、価値観、物事のやり方などが根本的に違うふたつの文化の狭間に常にいる人々のことです。ふたつを分けてしまう大きな違いをまたいで、理解し、比較し、評価し、判断し、受け入れ、そして、なんとか違いを融合しようとする人々のことです。違いを理解することが難しく、イライラしたり、苦しんだりしながらも、でも、違いを克服して共生することの大切さを最終的に理解している人々のことです。
ICETの1年プログラムは、この「境目をつなぐ人々」という観念を日本の若者たちが直接的に試行錯誤しながら体験する場所です。真の国際市民になるための、その長い過程の1歩を踏み出したに過ぎません。しかしながら、オーストラリアの人々と良い関係を築き、ユニークな友情を培った事実は、その一歩目が成功裏に踏み出せたと言っていいものです。
違うタイプの家庭生活、違うタイプの学校生活を体験し、大きなスケールで自分たちの知識を積み世界を広げてきました。その大きさゆえに、彼らは、この「境目をつなぐ人々」の役目をこれから戻る自国の文化の中で果たさなければならない立場になります。新しい観念を備えたこの若者たちは、もう、その観念を知らなかった頃に戻ることはできません。
それが、「境目をつなぐ人々」を実体験をした人々の運命なのです。
彼らが留学してきた時には、「日本人であること」のジャケットを脱いでオーストラリア人になれとは要求されません。逆です。「日本人である」という意識、自分の文化が鮮明になることで、それを大事に受け止めることが求められます。それが、違いをまたいで共生することへの勇気を産むからです。
世界はすごい勢いで変わっています。ギャビン氏が言われたように、私たちが知っている方法で世界の動きを予測することは不可能になっています。
それゆえに、若者が、この混沌とした未来に自分はどう生きるべきかの意識を持つことがますます重要になってきます。今までのようにより高いもの、より経済的な豊かさを求めるだけのはしごを上り続けるのであれば、アフルエンザ(豊かさという名前だけの虚しさを生むビールス)の罠に落ちるだけです。一方、なぜこの地上にいるのかの理由と目的をしっかりと理解していたら、人生がより意味を持つものとなり、自分が本当になりたい自分を実現できる機会はより多くなるでしょう。
サー・ケン・ロビンソンは、こう言っています。「人は、自分のエレメントにいる時に、自分の根源であるアイデンティティ、目的、そして、幸福の感覚を得ることができる。このエレメントは、2つの特徴とふたつの条件を持つ。特徴は、知力と情熱。条件は姿勢(態度)と機会。そして、自分のエレメントを得るための過程は、通常、こうなる。ああそうか。これ大好き。欲しい。どこにあるのだ?」
ここにいる若者たちは、自分がどのように生きるかは自分の選択なのだ、どういう世界を見たいかも自分の選択なのだ、ということを意識するようになってきています。一人で世界を変えることは難しいかもしれません。でも、一人ひとりがより幸せになり、他の人々の幸せを考えることができるようになれば、みんなで世界をよりよいものに変えていくことができます。
今晩にここにお見えいただきました皆様には、これらの若者たちを温かく支援するためにご自分の人生を分かち合ってくださり、共感と愛とケアに満ちた人生の模範を示してくださり、彼らが世界市民として育つ機会を与えてくださったことに感謝の言葉もありません。
卒業する生徒たちと日本の親御さんを代表して、心から申しあげます。
「ありがとうございました」と。