真夏の雪

投稿日:2012年1月13日

  Mt. Hothamに雪が降りました。真夏だというのに。

 といっても、この山はビクトリア州なので、シドニーからは遥かに遠いところです。この夏は、夏とは到底いえない涼しい日が多かったのですが、それにしても、真夏に雪の便りなんて・・・

 ということで、シドニーに向けて出発の用意をしてみえる方々、かなり涼しいかもしれないことを予想してきてください。到着早々、特に、1年組の生徒さんたちは、空港からそのまま合宿場に向かいますので、上着を持ってきてください。朝夕には、少し冷え込むかもしれません。

 シドニーの天候は激しく変わるので、カンカン照りになるかもしれまいし・・・ 天気予報は、さっぱりあてになりません。

 シドニーは、通常、1日に四季がある、と言われます。

 太陽が隠れているときは、涼しく、時には寒く、でも、雲がなく太陽が直接照らしてくる時は、T-シャツ1枚で十分。ジーンズだと暑く感じられるます。短パンがあるといいですね。

 1日の温度差が20度にもなることもあります。まったく予想がつかないお天気なので、どうなってもいいように用意してきてください。

 傘は、折りたたみの小さなものがあるととても便利です。オーストラリアの人たちは、傘をあまり使いません。だから、学校に来るときも、お家に傘がない、ということもあります。1本自分のものを持っているとらくでしょう。

 シドニーでは、今、SydneyFestivalと呼ばれるものが開催されています。8日から始まり、今月いっぱい開催されます。Multicultural(多文化)のこの国には、地球上のほぼ全部の国の人々が住んでいると言われます。

 第一次、第二次大戦後のイタリア、ギリシャ、ポーランドから、戦争や紛争が起こったベトナム、レバノン、ケニア、スーダンなど大きな数で民族の移民があったところもあれば、中国、韓国、インド、チリ、ボリビア、コロンビア、エジプトなど個人的に、でも、全体としてはかなりの数に登っている国がたくさんあります。

 日本人のコミュニティは、比較的小さなものです。

 そのMulticulturalを称え、シドニーという都市の様々な面を芸術的に紹介するのが、このSydney Festivalです。

 各種コンサート、様々なスタイルのダンス、芝居、絵画や彫刻、語りなど様々なものが、何十箇所にも分散して同時進行します。無料のものもあれば有料のものもあります。食べ物は普段から世界のいろいろなものが容易に手に入りますが、この時は、まさにオンパレードで、なんでもあり。

 中には、社会の矛盾を鋭く突くものもあります。

 アボリジナルの人々の悲哀をミュージカルにした’I am Eora’ という芝居を観ました。場所は、以前に電車の車両を修繕するために使用された巨大な建物がいくつか並び、廃墟の感がある不気味な感じのところです。その古い建物を上手に使い、一部は、普段から劇場として使用されているようです。

 「Eora(エオラ)」というのは、英国人がこの地に最初に上陸した土地の名前です。芝居は、ずっと昔からこの地で生活してきたアボリジナルの人々と新しくこの地を殖民する目的で来た人々との葛藤、争い、殺戮、その後のアボリジナルの悲憤、絶望、希望を演じたものでした。

 Bennelong(ベネロング)という名前で知られている人がいます。英国人とアボリジナルの間を最初に取り持った人です。彼は、囚われの身となって英語を学ぶことを強要され、後に大英帝国に連れていかれ、再び、ここに戻されて通訳として仕えました。

 その彼と他の二人の人々(ある女性は首をはねられ、彼女の首は大英帝国に展示された)の人生を通して、その人たちの魂が、200年前のできごと、その後に続くできごと、そして、今現在アボリジナルの人々の心を描くというもので、観客は到底穏やかな気持ちではいられない内容のものでした。

 音楽がまたすばらしく、アボリジナルの人々が通った悲惨な歴史がさらに人々の心に深く浸透していきます。

 Benellongの名前を記念して、シドニーには、Benellong Pointという名前の場所があります。現在、そこにはオペラハウスが建っています。

 シドニーに到着し、オペラハウスを眺める時に、その昔にその地で、最初に英語を学んだアボリジナルのベネロングの名前、そして、彼の人生を思い浮かべると、オペラハウスも違った角度で見えてくることでしょう。

 Benellongは英語を習うことを強いられました。みなさんは、自由意志で英語を学びにきます。その意思を大事にしてください。

コメントをどうぞ

お名前(必須)

メールアドレス(必須)

URL

ブログトップへ戻る