Rules

投稿日:2012年1月16日

 ルールは、なぜあるのでしょう? 

 ルールは、必要だと思いますか? ルールが存在しなかったら、人間は暮らしていけないと思いますか?

 私は、時々、社会的なルールはあっても無くても社会はあまり変わらないのではないかと思うことがあります。むしろ、誰かが何か愚かなことをするたびに、「ルール」という名のものが増え、それにがんじがらめにされる向きさえあるように感じます。

 なぜ、そう思うのか説明しましょう。

 人を殺してはいけないことは誰でもわかっています。でも、人を殺す人がいます。人をいじめてはいけないことは誰もがわかっています。でも、いじめは絶えることがありません。子供を虐待してはいけないことは誰もがわかっています。でも、子供を虐待する親がいることが頻繁にニュースになります。

 この人たちにとっては、社会のルールやモラルや倫理観などは、まったく意味をなさないものです。極めて逼迫した事情があるのでしょう。

 タバコを吸った高校生を謹慎にした大人が、喫煙室でプカプカとタバコをふかします。タバコを未成年が吸ってはいけないというのは、健康に害があるからでしょう。それなら、大人でも害のあることは同じです。そうであるなら、未成年はダメ、成人はOKというのは、極めて矛盾したルールです。タバコ会社や政府の税の「都合」を盛り込んだルールであって、本来の喫煙者の健康に関する意味はゼロです。

 ルールは、たぶん、元々は、意味があって設定されたはずのものでしょうが、必ずしもそうではないものもあります。このルールは、何のためにあるのだろうということを考えてみることは大事です。

 人間にとって基本的に大事なルールは、定めとしてあってもなくても、respect の精神と姿勢があったら、実際にはルールとして存在しなくても、人間はそれなりに振舞うだろうと思います。そして、自分にも周りにも respect が無い人は、ルールがあっても自分にも人にも危害を及ぼすことをします。

 ということは、人間のすることは、最終的には、個々の尊厳・自負心・誇り・共感・責任感などにかかっているということになります。自分が、社会のどの位置で、どの役割を持ってcommitment を示すのか、ということに繋がっています。

 ルールがあるからそう振舞うのではなく、自分がきちんとした人間でありたいからそれなりの振る舞いをする、というところに根本があるべきものだと私は考えます。

 そういうことを念頭に置いた上で、ルールを眺めると、ルールというものは実におもしろいものに見えてきます。ルールを作った人、組織、企業、国などの意図が明白に見えてくるからです。

 ルールには、ふたつ種類があります。ひとつは、明文化されたもの。文字で書いてあり、たいていは、それを破った場合にはその後に何が続くかということはよく見えます。たいていのルールには、破った際のペナルティがあります。どこに越えてはならない線(バウンダリー)があるのか、疑う余地のないものです。

 もうひとつは、常識のような暗黙の了解という目に見ることのできないものがあります。これは、社会体験をたくさん積まないとわからないものです。積んでも積んでも失敗することがあるでしょう。なぜなら、その線は、TPOによって自在に変わるからです。

 では、留学してくる皆さんは、どうすればいいのか。ルールのひとつの大きな役目には、ルールを守る人を保護する、という面があります。

 みなさんは、外国に暮らすことになります。現地で決められているルールは、あなたの行動の目安になるものであり、あなたを守るものです。国の法律であれ、学校のルールであれ、ホストファミリーでの生活の約束であれ、すべてがあなたがオーストラリアで上手に生活していけるための非常にわかりやすい目安です。

 Respect してください。

 Respect することが、必ず、あなたの身にとても良い形で戻ってきます。なぜなら、

 ・ あなたに信頼が置かれます。

 ・ あなたは自分が達成したいことができる自由を束縛されることなく、周りからの支援がたくさん得られます。

 ・ あなたが他の人々からの respect を受けます。 

 ルールは上手に使って、自分と周りを大事にしましょう。

 

 

  

 

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