サーフィン

投稿日:2012年2月20日

サーフィンは、オーストラリアならではのスポーツです。

PASSというスポーツの授業の一環として、夏季には、ビーチに出かけます。昨夜は、空がふたつに割れるほどに稲妻が走り巡る凄まじいシドニーだったのですが、今日は、打って変わったサーフィン日和となりました。

学校のミニバスに乗り切らないほどに人気があるので、スー先生の車に数人乗せていただき、この写真もスー先生にとっていただいたものです。

なんとも気持ち良さそうですね。

 

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先日、前日授業で学んだ世界地図について国や大陸の名前などを綴る単語のミニ・テストの結果が目に留まり、ほぼ100%に近い解答のものと、わずか25%の正解しかないものがありました。あまりにも大きな差があることに大変びっくりしました。

衝撃を受けたのは、25%の正解しかないものがあるということです。

英語で数学をする難しさはわかります。「1分に65の単語をタイプできる人が、450の単語を打つには、どのくらいの時間がかかるだろうか」というような、数学的にはやさしい問題であっても、英語の意味がわからなければ、応用問題が解けないものがあります。前後の問題を見れば、この数字を見ただけで勘が働く生徒もいるでしょうが、英語でお手上げとなってもそこに不思議さはありません。ゼロであっても、驚きにはなりません。

それが解けるようになるのは、時間の問題です。数学を通して、今は、英語を学ぶ時間だと思えばいいわけです。

私が理解できないのは、前日の授業でこの40個の単語を既に学習していて、そして、テストが明日あるよと言われていて、練習しさえすればできるものを、練習してこないということです。なぜ、全部自分に確信が持てるまでに徹底しないのでしょう。

今日の午後、宿題をしてこなくて先生に学校に残された生徒たちがいました。

宿題は、今日学んだことを復習し、記憶に留め、構文や語彙を反復することで英語という言語を自分のものとしていく上で極めて大事な過程として出されるものです。宿題をすることの大切さは、先生たちが繰り返し繰り返し説明しています。

生徒たちがここにいて負っているたったひとつの責任は、勉強する、ということです。

それならば、なぜ、宿題をしないのか・・・・

100%をものにできる機会があるのに、なぜ、25%で妥協するのか・・・

なぜ、自分をそのレベルで良しとしてしまうのか・・・

復習し、覚え、1日でも早く英語を自分のものとしたいと思わないのか・・・

さらに突き詰めれば、一体、何をしにオーストラリアに来たのか?

勉強するつもりで来たのではなかったのか・・・

 

 

 

 

“サーフィン” へのコメント2件)

  • 山下 和子

    2012年2月20日

     100%…
    出来るのにしないのは…甘えなのか?諦めなのか?
    オーストラリアに着いてから 1か月を迎えようとしている。
    もう一度初心に戻り 勉強するという事を 思い出して欲しいものですねっ!

    返信
  • 一生懸命やっても結果が出ないことはたくさんあります。でも、できるのにしないのは、それほど、もったいないことはありません。それが、勉強であっても、他の何であっても。
    オーストラリアに来た時点ではみなスタート地点は一緒です。まったく新しい姿勢で物事に取り組む、という。
    姿勢と熱意、そのふたつが、その人がより自分らしく生きる可能性を高めるものとなるのでしょう。

    返信

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