2月19日
投稿日:2012年2月19日
Gold Coastでのオリエンテーション2日目。
4時間が4時間半になり、それでもまだ足りなかったですが、時間をまとめてするというのはいいですね。
人間がそれぞれにこんなにも違う。でも、違う人に出会うことが自分へのプレゼントであり、自分を豊かにしてくれるものだと思えば、人との出会いが楽しくなります。そして、価値観の違う仲間と仲良くすることは、自分を育む学習であることがわかります。
それぞれに収穫があったことを祈ります。私も大きな恵みを受けました、ありがとう。
民子さんにも、加藤コーチにも、大変お世話になりました。週末を返上してくださってありがとうございました。
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さて、今日は、2月19日。
70年前のこの日、オーストラリアの地に特別なことが起こりました。
シンガポールの陥落後、北の端にあるダーウィンという町が爆撃されました。爆撃の数は、真珠湾よりも多く、軍艦が爆破され、70人が死亡。でも、その数字は、 反応の激しさを恐れた豪政府が控えたものであり、実際は、 243 人の人々が亡くなっているということ。
70年という年月を記念してなのか、当時を再現する博物館が開設され、今日は、首相や総督を迎えて特別の式典が行われました。
攻撃したのは、いうまでもなく日本軍です。
「全くの奇襲であり、オーストラリアにはまったく迎える用意がなかった。日本の奇襲力の凄さが対照的に映し出されたできごとだった。オーストラリアという国にとっては極めて大事なできごとであり、このできごとを歴史の一部として残すことが大事」というのが博物館開設の理由であるとニュースでは説明されていました。
毎年、この日には、ダーウィン襲撃のことがニュースで流れます。でも、わずか1分にも満たない短いものでした。でも、今年は違います。多くの特集が組まれ、数日前から、繰り返し繰り返しこの日の「意味」についての報道がされています。
今まで耳にしたことのない情報も今回は流れました。 爆撃は、1943年の9月まで繰り返し起こり、合計60回にのぼった。日本の目的は、オーストラリアに上陸することではなくティモアを占領することだった。オーストラリアには、心理的な抑圧を加え、ダーウィンが軍事基地として使えないようにすることだった、というようなことです。
そして、博物館に設置されたという当時の攻撃の様子のアニメーションが流れました。
毎年、この時期から4月にかけては、戦争のことが時折報道されます。主となるのは、第二次大戦のことなので、’Japan’という名前が繰り返し出てきます。まだ、全部を英語で理解できない生徒たちは、毎週のニュースの時間に、どういう意味のニュースだったのかを尋ねてきます。
国が違えば、歴史上のできごとの見方は違います。好む好まざるに関わらず、留学生は、新しい観点からの歴史を学ぶこととなります。
これも、異文化に暮らす側面のひとつです。