太古との出遭い (2)

投稿日:2010年12月27日

 Margaret Riverの地域には、2つの岬があります。大陸のもっとも西側に位置するCape Naturaliste(ナチュラリスト岬)と、インド洋と南氷洋が合流する最南端に位置するCape Leeuwin(リューイン岬)です。

南氷洋とインド洋が合流するところ

 両方の岬に灯台が立っています。両方ともに3軒の家が見張りをする人のために建てられています。かつては、毎日4時間ずつ3交代で1晩じゅう海の見張りを受け持ち、眠ってしまわないように、椅子の後ろにもたれかかることは許されず、灯台の階段を何度も上り下りしたということ。家も食べ物もすべて供給され、2年の契約の後、辞めたいという人は稀で、何度も契約が更新されたといいます。

 ナチュラリスト岬のほうは、1番近い町に海路で1日、陸路なら3日かかったというのですから、よほど強靭な精神の持ち主でなければ、何年も人里離れての生活は難しかったのではないでしょうか。それでも、食糧や必需品は、正確に確実に2週間毎に、「正確な時計のように」配達されたそうです。

 この地域は、かつては、Wardandiと呼ばれるアボリジナルの部族が住んでいたところで、1930年代に最初の白人の移民が始まりました。最南端の町Augusta(オーガスタ)の博物館に、当時の開墾の生活がいかに過酷なものであったかが物語られています。南氷洋の強い風に晒され、まったく何もないところから生活を興すことは、食べるものにも困る残酷な日々の連続だったようです。3千人余で始められた開墾地は、数年の間に半分以上の人が去り、そのうちの何人かが、現在のBusselton(Geographe Bayに面する一大観光地)の元を築くようになったとのこと。

 インド洋の海の色は、東海岸の海とはまた違ったものでした。深いところは、濃紺のコバルト色に見えますが、浅瀬は、うっすりと空色がかったクリスタルみたいな色に見えます。

 すごい岩のあるところに出ました。運河のように水が分岐するので、Canal Rocksと呼ばれています。岩は、まだオーストラリアがゴンドワナ大陸から分離する前、7億5千年も前に海の底で形成され、2億3千万年前ほどに今の岩質になったのだそうです。時の流れが想像もできない長い年月、この海とこの岩は、ずっとここに居続けていたのかと思うと、自然の神々しさの前にひれ伏したくなります。岩の上に座っているだけで、大地の、そして、海底からの底知れないエネルギーを分けてもらったような気持ちになりました。

7億5千年の岩石

 ついこの間、この地球に姿を現した人間は、この大自然の力にあがらいながら、なんとかそれを克服し、生活の場を築いてきました。そして、それだけでは満足できず、海を汚染し、海のものを食い荒らし、地下に眠る資源を掘り尽くしてきました。

 今は、こんなにも美しい西海岸。海底に、さんご礁が広がってっているところがたくさんあります。現在サンゴが白色化して死滅しつつある東海岸のバリアリーフも、わずか100年前には、太古からの生命と美を保っていたのかもしれません。

 月が命じるまま上げ潮と引き潮を永遠に繰り返し、すべてのものを飲み込み、生命の営みを繰り返し、大地に生を与え続けてきた海の水は、今も変わらず、リズムを刻んでいます。

 太古からの自然に宿る魂に、畏怖を感じざるをえません。

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