太古との出遭い (3)

投稿日:2010年12月28日

 Margaret RiverからAlbanyに続く西南部は、深い森に覆われていました。

 Walpoleという海岸の町に、樹海を眺めることができる場所があるということで行ってみました。高さ40mとか60mという木が立ち並ぶ空中につり橋がかけられています。下にまっすぐ伸びる樹を上から眺め下すのは、その高さに感心するものの、怖さで脚の後ろが攣りそうでした。

 そこにある樹木は、俗称 Tingle treesと呼ばれているそうです。tinlgeというのは、クリスマスツリーの小さなベルがチリリリリンと鳴るような音、あるいは、興奮したときに心地よい気持ちが体に走るような感じを意味する言葉です。風の中で木々の葉がささやく音が、そんなふうに聞こえるところから、この名前が付けられたのでしょうか。名前の由来はわかりませんが、樹木の種類は、ゴンドワナ時代からのものだそうです。

  地上に降り、樹木の間を廻ってみました。何百本という木が立ち並ぶ中を歩いていると、何百年、何千年という地球の歴史の中に身も心も包み込まれていくような気がします。大地の精霊たちのつぶやきが伝わってくるようです。

 樹木の根元には、大きな穴があいています。中には、15人ほどの人々がらくに座れるほどに大きなものもあります。かつては、この地域に住んでいたアボリジニーの人々の居心地のよい寝場所であったり、精霊を祀る場所であったり、次の狩りの相談をする場所であったりしたのでしょう。

 西海岸のKarridaleという地域には、「妖精の森」と呼ばれているところがあります。Karritreeという木の森です。Karritreeというのは、辞書で調べるとPrincess tree (?) とあえて辞書に?マークがついているのですが、Princess treeというのは、桐の木だとあります。どう見ても、私の知っている桐のようには見えません。学名は何であれ、私には、妖精の住む森、樹木で十分です。

 木立の中を歩くと、下草がたくさん生える中に、あたかも妖精が棲んでいるかのような植物がありました。この森が「妖精の森」と名づけられた理由がわかったような気がしました。

妖精の棲みかに見えませんか

 樹木の中には、樹皮を落として、新しいつやつやの木肌に生まれ変わっているものもありました。重荷になる蓄積は捨て、新鮮なものを取り入れる余地を作れ、という自然からのメッセージであるように受け止められました。

 Denmarkという名前の町にあったイチジクの樹も、私の心を強く惹きつけました。
 Denmarkという町は、町の中心の歩道いっぱいに「命の輪」が描かれていて、町全体がひとつのコミュニティであるような雰囲気を強く出している町でした。
 この町は、この樹木を中心にできたのではないかと思わせるほどに町の真ん中に位置しています。
 太古からの地中のエネルギーが、人間が生涯に味わうありとあらゆる感情や縺れや苦悩や呻吟を幹にうねりのように包み込み、だからこそ、青々とした美しい健康な葉が人生の喜びを感じることができるようにしているのだ、と感じられるものでした。
 「この樹はダンスをしているのだ」と言われ、ああ、そうも見えるな・・・
 たくさんの物に囲まれ、とてつもない量の情報を浴び、日々の忙しさに追われ、時に存在の目的すらも失われてしまいそうな現代のわれわれに、太古の木々は、ガイアの魂を忘れるな、そこに戻れ、と語りかけているように感じられました。

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