関連性

投稿日:2012年4月9日

関連性•該当性

 

いたずらを思いつくのは機転です。

いたずら心やいたずらを考えつく頭の動きは歓迎すべきものです。過去の大きな「発明」や「素晴らしい発想」は、違う方法、新しい方法で何かをしてみるという遊び心、いたずら心から出てきたものがたくさんあります。

その一方で、その遊び心から、誰かに迷惑をかけることになったり、怒らせたり、困らせたりすると「いたずら」になってしまいます。危害を及ぼしたら、「悪さ」になります。

プラス、マイナス、どちらの側にころぶかは、どのような形になって出てくるか、によります。

タイミングもあるでしょう。ジョークとして笑えるものもあれば、ジョークでは済まない場合もあります。

そのへんの見極めが、ひとつの術となります。境界線といってもいいし、けじめといってもいいでしょう。どこまで行っていいのか、どこで止めなければならないのか、という見極めです。

これを英語では、boundaryと言います。このboundaryに関しては、毎年生徒の課題となることなので、以前、何回かにわたって掲載したことがあります。繰り返しになるので、ここでは控えます。

瞬間の愉しさを追い求めることから、これをしたらどうなるか、その影響はあるのかないのか、全体の流れの中でそれがどういう意味を持つのか、していいことなのか控えるべきことなのか、を留学生であれば、考えることが求められます。

このけじめ、線引きは、いたずらだけではなく、いろいろな面で現れます。「 元気が良くて、積極的に何でもするけど、時々、問題を起こす」生徒をどう評価するかという生徒の質問なのですが、これに対しては、こういう質問を改めてしたいと思います。

「元気が良くて、積極的に何でもする」、でも、問題を起こさない生徒もいる。「元気が良くて、積極的に何でもする」、でも、問題を起こす生徒。一体、どこが違うのだろうか?

どこで止まるべきかがわかっているのとわかっていないの違い、超えてはいけない線が見えるか見えないかの違いである、というのが私の答えです。

このけじめが無いことで問題になるのが、授業中の私語です。話し合いの内容は、この私語ということに移っていきました。

こちらの授業は、生徒が聞いているだけというものではなく、生徒が発言する、意見を交換する、シェアするということが授業の大きな部分を占めます。

問題は、日本語のわからない先生の英語の授業で、生徒が日本語を使うこと、そして、授業から逸れた話をすることです。生徒たちは、「情報の交換や議論は、僕たちの今の英語力では、英語だけではできない。だから、日本語でまずしたほうが、何を勉強しているかがわかるから、それができてから、英語で表現を学ぶほうがいい。」と言います。十分に一理あります。それを見越して、先生たちは、2分間、日本語で話していい、といった指示を出されます。

ところが、話題は、違うところに逸れていくのですね。。。

先生方は、生徒たちが関連したことを話しているのか、そうでないかは、言語がわからなくても感じ取ることができます。それに対しては、「わかっている。わかっていても、つい、話が他に逸れてしまう。」と生徒たち。

そして、結局、生徒たちが話し合いの最後に自分たちで出した結論は、「授業と関係の無いことを話さない。」というものでした。

関連するものに集中する、該当することに努力を注ぐということができれば、学習の結果は飛躍的に伸びること間違いないでしょう。

自分たちの出した結論、ぜひ、実行してくださいね。

強いてもうひとつ言わせてもらったら、「しない」という抑制でなく、社会のために、みんなのためになるために、そして、自分を伸ばすために、何ができる、何をしたい、という方向に持っていって欲しいですね。

 

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