3ヶ月
投稿日:2012年4月27日
キャンベラの続きは、この次にして、シュウ君の寄稿を掲載します。
キャンベラから戻り、渡豪からちょうど3ヶ月経った今、とても深い意味をもったものです。
「Australiaに来て3ヶ月が経ちました。「もう」と言ったらよいのか、「まだ」と言うべきかはよく分かりませんが、僕たちにとってプレッシャーを与える数字になっていることは間違いないです。
今日は、この3ヶ月間について少し書きたいと思います。僕は、この3ヶ月を一言で表すなら「学ぶ」という言葉を選びます。留学しているのだから当たり前だと言われればそうなのですが、ここでの学ぶは、学ぶことによってスタートラインにやっと立てた、スタートする準備ができたという感じです。
日本はとてもすばらしい国です。Australiaもまた本当にすばらしい国です。ですが、どんなにすばらしいと言っても、必ず「違い」というものは存在します。きっと僕を含め留学生全員誰もが、その 違いを知り、学び、悩んできたことだと思います。
来た当初は、その違いに気づいたとき「なんで?なんで?」と日本の観点にあわせ文句、不満ばかりが口に出ていました。
そのたびにたくさんの人とぶつかりました。ですがそうするなかで見つけたことは、なぜここいるのか?という自分に対する質問でした。
日本に合わせていてはここに来た意味がない。日本と変わらない。ただそれだけのことに気づくことができませんでした。しかしながら、この違いを学んでいなければ気づくこともできなかったと思います。
いまでは、日本との違いにであったとき「そうなんだ」と言えるようになりました。恥ずかしながらこう言えるようになったのはつい二日前のことです。
そう考えることができるようになって、どこ か心が晴れた気持ちです。違いを「学んだ」ことによって、ようやくよいスタートがきれそうです。すこし短いですが終わります。」 by Shu
以上、シュウ君からでした。
誰にとっても、この最初の3ヶ月は、本当に大きな学習の時期です。以前、生徒には話したことがありますが、留学の最初の3ヶ月は、お母さんから誕生した赤ちゃんが最初の数時間の間に学ぶことに比例するくらい、あるいは、それに継ぐ大きな学びの時期です。
赤ちゃんは、泣く、空気を吸う、おっばいを飲む、お母さんの心臓の鼓動に安心感を得る、自分を支える羊水もお母さんの子宮の壁もない無限の空間に置かれ、お母さんの肌の接触に慣れなければなりません。今までの聞いたこともない人々の声や音も聞こえてくるでしょう。その間に、決定的に重要なことを学ばなければ、生きていけません。
留学生の最初の3ヶ月の体験もこれによく似ています。親元を離れ、全く新しい環境で、違う文化の中で、今まで生活したことのない人々と生活し、新しい方法で学習し、そして、「自立」を果たさなければなりません。そうでなければ、サバイバルは不可能となるからです。
苦悶し、苦闘し、嘆き、文句を言い、捨て鉢な気分になり、投げ出したくなり、どうでもよくなり、人とぶつかり、といったことは、本当に当たり前のことです。問題は、そこから何を学ぶか、それを乗り越えて成長するか、あるいは、あきらめてしまうかです。
シュウ君は、何かに目覚め、見事にそれを乗り越えたようです。あとは、成長まっしぐらです。
Congratulations, Shu! It was worthwhile to put our belief in you.