Canberra 3
投稿日:2012年4月27日
自分たちで作る食事は、とても楽しかったようです。
21日(土)の集会は、ルールの確認と、メニューの作成でした。ルールといっても、細かいことがあるわけではなく、普段の共同生活に加えて、みんなが楽しめるものにすること、オーストラリアの公衆の中にはいっていくので、大声で日本語を使って歩くのではなく、できるだけ英語、そして、静かに行動すること、というものだけです。
(実は、この2番目のルールが、毎年、守ることがいちばん難しいルールなのです。)
全行程のメニューは、各グループで作りました。グループによっては、誰もお料理をしたことがなく、「外食で済ますか」というアイディアが出たようですが、それが可能でないことがわかると、簡単にできるものを考え出したようです。
2日目のランチまでの食材は、シドニーを出発する前に購入。2日目の夕方に、Mr Gavinにバスを出していただいて、各グループから2名がスーパーマーケットに。
非常に凝ったものを何種類も作るグループ。失敗してお鍋を焦がしたグループ。電子レンジで暖めれば済むものを購入してきたところと、さまざまでした。でも、みな、一生懸命。
普段から、お家でお手伝いをしている人たちは、こういうときにすばらしい力を発揮します。手際のよさも時間の配分も。自分が口に入れるものを一度も作ったことがないという生徒は、相当な苦労があったようです。それでも、やっぱり、自分たちで考え、買い物し、作ってみるということは、楽しいことなのですね。
自分たちで作ったランチも格別においしかったことでしょう。
オーストラリアと親交のある国々の旗がずらっと並んでいるところがあります(この写真は、その半分も写っていません)。数を数えてみたり、どの国の旗がどれとあててみたりしたら面白いのでしょうが、残念ながら時間の余裕なし。
キャンベラは、人工都市です。まったく何もない山地を切り開いて造ったところです。都市のいたるところにすばらしいデザインが光ります。人口湖、議事堂から戦争記念館をまっすぐつなぐ大道、戦争記念館の池にこめられた願いなどは、ごくわずかな例です。
この湖の周りには、人々が散策したりサイクリングを楽しむ道があります。その一部に、音楽の五線譜を模した線が引かれ、その上に、四角な棒が立っています。毎年、「今年のオーストラリア人」として選ばれる人がいます。老若男女関係なく、オーストラリア人として活躍した人が選ばれ、政府から表彰されます。その人物の名前がこの棒には刻んであります。
この棒に沿って音を出していくと、オーストラリアの国歌になるのです。なんて、すてきなアイディアでしょう!
たまたま珍しい瞬間に居合わせました。陸・海・空軍の兵士たちの無名戦士の廟への行進がありました。
この日、ガイドだったのは、Nick Creanさんという方。広島に3ヶ月、日本には合計3年暮らしたという大の日本好き。戦争記念館には、第二次大戦のホールがあり、ニックさんにとっては心情的にとても説明しにくいところです。難しいところは、日本人である私が引き受け、ニックさんには、全般的なことを説明していただきました。
ニックさんとミズホさんが読んでいるのは、無名戦士の廟がオープンされた時に時の首相ポール・キーティング氏が作った詩です。後ろにある赤い花はケシの花です。第一次大戦後の荒野に最初に咲いた花がこの赤いケシの花。そこで亡くなった兵士たちの血がこの花を咲かせたということで、ANZACの象徴になっています。ちょうど、桜が特攻隊で命を散らした若者たちの象徴になっているように・・・
ゼロ戦の本物が飾ってありました。