Canberra 6
投稿日:2012年4月30日
NB校ボランティアのところで、落としてしまいました。
今年のまとめ役、キャプテンの役目にハルノさんとアユミさんの手がさっとあがりました。お役目、大変でしょうが、がんばってください。よろしく!
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4月25日は、ANZAC DAYと呼ばれる旗日でした。
ANZAC というのは、Australian and New Zealand Army Corps(オーストラリアとニュージーランドの陸軍団)の略です。
このANZAC DAYに先立って、オーストラリアのどの学校でも、黙祷を含む特別な学校集会が開かれます。例外無く、どの学校でも、です。DHSでも休暇に入る前にありました。ICETの生徒たちも参加しています。
これは、この国の国家行事であり、最も神聖な日です。宗教にも関係ありません。オーストラリアの学校に在籍する子どもは、全員参加します。他には、年間を通して、全国共通に実施されるというものは見当たらないので、それほどに、この国の国家にとって大切だということです。
オーストラリアは、自国で戦争を体験したのは、第二次大戦中日本がダーウィンを襲撃した時のみです。でも、英国連邦下にあるために、英国が戦争を仕掛けたり巻き込まれたりするたびに誇りを持って派兵します。第一次大戦の際にも、オーストラリアとニュージーランドからは、何万人もの兵隊さんがヨーロッパに向かいました。
オスマントルコと組しているのはドイツ。コンスタンティノープル(現イスタンブール)を落とすために、黒海に抜ける道を切り開こうとし、大英帝国とそれに従軍するオーストラリア兵、ニュージーランド兵、インド兵を率いるウインストン・チャーチルがガリポリ半島から攻め入る作戦を立てました。
1915年4月25日の未明、ガリポリでこれから上陸しようとしている船が襲撃され、1日の明け方だけで、何千というたくさんの兵士が亡くなりました。結局、この作戦は8カ月も長引き、1万人を越える兵士が命を落としました。オーストラリアにとって、この戦いは、忘れがたいものとなり、この4月25日は、ANZAC Dayとして定められ、オーストラリアでもニュージーランドでも、約100年経つ今に継承されています。
オーストラリア全土の町という町で、未明に特別な儀式が行われ、昼間には、行進があり、オーストラリア人全員がこの日には、過去を振り返り、未来を見つめ、現在の平和があることを感謝し、戦いで命を犠牲にし国に貢献した人々の功績を称え、鎮魂を祈ります。国自体の歴史が短いこの国で、100年続いているということはすごいことです。そして、年を越すごとに重みが増し、幼稚園児の年齢の子どもたちにもきちんと伝承されています。
大和魂とか、日本人精神とかを知るためには、本当に深いところで日本の文化や歴史を感じないと、それを肌で感じ取ることはできません。同様に、オーストラリアの人々の心の深いところにあるオーストラリア魂のようなものを感じ取るには、オーストラリアの人々にとって、最も大事なことを一緒に体験してみないと、その深いところに触れることはできません。それでも、本当に理解することはできないかもしれませんが、少なくとも、そこに近づくことはできます。
ANZAC DAYは、おそらく、そこに一番近づくことができる日であり、機会です。
オーストラリア魂・・・ 友情、勇気、忍耐、逆境に折れない心、共感、人道、正義。やらなければいけないことなら一緒にやろうよ。たとえ、そこに死が待っていても。普段は明るくおおらかな印象を与えるオーストラリアの人々ですが、戦時にまつわるたくさんの話しにはこうした彼らの心底に持つものが溢れています。
こうした資質を称え、思い出し、感謝するのがこのANZAC DAYです。
ICETの生徒たちは、毎年、国家の中枢で、この日を体験します。普段は、首相や総督が出席するのですが、今年は、お二人ともガリポリにいらしたとのこと。
雨も降らず、時々日が差す幸運な天候だったのですが、温度は低く冷たい風が吹くので、生徒たちは、雨降りようのビニールのポンチョを膝に巻いたり、体に巻きつけての見学でした。1時間45分、身動きすることなく、話をすることなく、目の前に広がる式典に集中することが求められます。
時間は、あっという間に経っていきます。
ICETの生徒たちが座る席は、壇上にある貴賓席をすぐ見上げるところにあり、来賓席の後ろにありました。毎年、だんだんと花輪を献花する場所に徐々に近づいたところになっているのは、私たちのこのプログラムにも歴史が積み重ねられてきているということなのかもしれません。
会場を囲む塀の外には、参加するための席が得られなかった人々がたくさん集まっていました。
式の前に、「日本人の方ですか」と軍服を召した方から尋ねられました。防衛省から派遣され、日本国大使館にご勤務だとおっしゃる一等海佐の方でした。この会場で他の日本人に出会うことは初めてのことなので、少し驚きましたが、昨年も参加していらしたとのこと。生徒たちの写真を一緒に、という求めに快く応えてくださっていました。
毎年、ICETの生徒たちが、このANZAC DAYに参加する主旨をお話すると、「それは、すばらしいことですね」と、日本の若者にこういう学び方の機会があることを喜んでいただけたことは、私にとっても、これを継続する意義を鼓舞されるものとなりました。
この式典をもって、今回のキャンベラへの旅は終了となりました。
持ち物リストがあり、そのことを特別に言われていても学校の制服をもってこなかった生徒、3日間の間、この時というときに静かにできず「けじめ」をつけることができなかった生徒、遊びに夢中になり、この時という要の時間に行動を合わせる「けじめ」を示すことができなかった生徒は、この旅の大きな目的のひとつであった式典に参加することはできませんでした。
何時間もかけてGlobal IssuesやCAPDの中で準備してきた今回の旅であり、他のすべてのクラスで「自制心」を養い「けじめ」をつける訓練が必要であった1学期の流れを考えると、そのレベルに至らず、絶対に失敗やミスが許されないこの式典に臨むことができなかったのは、非常に惜しいことですが、致し方ないことです。
学校と家の往復という形の決まった生活から、旅というまったく違う形式の時間を過ごすことは、子どもたちにとって、新しい発見があり、新しい視覚が開拓され、新しい学びがたくさんあります。上手に行ったこと、上手に行かなかったこと、そのすべてが学びです。でも、特に、上手に行かなかったことからは、上手に行ったことよりも、何倍、何十倍の学びがあるはずです。
留学は、まだ、4分の一が終わったところです。これからまだいろいろなことが予定されています。今回の4日間で学んだことを、これからの生活の、そして、勉学の知恵として活かしていって欲しいですね。