Identity

投稿日:2012年5月8日

ID Cardは、馴染みのある言葉です。

その元になっているIdentity(アイデンティティ)となると、その言葉の意味を誰もが正確に把握しているわけではなく、自分のidentityをしっかりと理解し把握している人は、さらに少ないかもしれません。

精神的に大人になるということには、自分をしっかりと理解することがひとつの要素になります。自分をしっかりと理解するということは、自分のidentityを把握するということです。

自分が自分たる所以、人とは違う自分を成すもの、自分を創り上げているもの、自分を突き上げるニーズ、自分の軸となっている価値観など、自分が誰なのか、自分が何なのか、それを作っているものがidentityです。

内部から自分を理解するidentityもあれば、普段の人間関係、人々に見える自分の言動、社会的な地位や組織の中の自分の立場を通して周りの人々が自分を理解するidentityもあります。

内も外も含めて、自分を理解することができれば、生きることはとてもらくです。なぜなら、自分のidentityがわかっていれば、偽ることも、飾ることも、ムリすることもなく、ごく自然に、正真正銘の自分で生きることができるからです。

CAPDの授業で、2時間をかけて、それぞれのidentityを成すものが何であるかについて考えました。

日本を出た瞬間に、自分のidentityのある要素が明確に浮かび上がってきます。日本人、日本の文化、日本の伝統、日本の歴史、日本の流行、日本人のものの見方、考え方、日本語、方言など、今まで、自分を意識する中には無かった要素が、否応なく自分に突き付けられます。それが、異文化の中で暮らす自分に対して他の人々が持つidentityであり、そして、自分も必然的にそれを意識する機会が頻繁に起こります。

ホストファミリーでお世話になって全く違う家庭生活を体験することで、すべてが当たり前であった日本の家庭、家庭環境、家族、家族の性格、生活様式等々を客観的に眺めることになり、そこでも、自分のidentityを感じることになります。

また、日本の文化、日本人というものを外から眺めることで、そこでも、自分のidentityを感じます。そして、宗教や言語や習慣や民族やその他様々な要素を通じて、他の人々のidentityをより鮮明に観察し理解することができるようになってきます。

人間、誰もが、何千年、何万年と続く先祖からの遺伝子を受け継ぎ、それぞれのDNAを持ち、それぞれの個性を持ってこの地上に生命を授かります。

一人として同じ人はいません。それなのに、みな、比べるのです、自分と人を。比べる必要もないのに。

一人として同じ人がいなければ、一人ひとりは、みな、特別です。違っていて当たり前であり、違っているから魅力を感じるのです。

子どもたちには、早い年齢で、このことを理解し、自分のidentityについての関心を抱いて欲しいと思います。

それぞれがみな特別であれば、それを誇り、それに自信を持ち、それを愛することができるでしょう。

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2学期は忙しい学期です。

日本語のボテンティア活動のリーダー、ハルノさんとアユミさんは、よく動いています。もちろん、参加者全員が。

6月末のURA Forumの1年組みの代表は、ユリナさんとミズホさんが努めています。Meetingにも欠かすことなく出てきています。

6月上旬には、Blacktown Girls High Schoolで開催されるCarnivale(カルニヴァーレ)という他民族多文化のお祭りに招待されています。それにもいろいろな出し物があり、ICETの生徒たちが用意しなければならないものがあります。

ミユさんとマオさんが今日からそのリーダーを引き受けることになりました。

2学期に入り、やらなきゃ、というみんなの気分の高揚が感じられます。

Global Issuesのクラスで、Canberra Tripを自分たちの映画にして発表する課題が出ていて、その発表が明日。放課後、生徒たちが、一生懸命作成に精を出していました。

あるグループでは、作成中にPCがフリーズし、それまで作りあげたものがすべて白紙に戻ってしまったという悲劇が起こったようです。でも、「ヨシ、ホストの許しを得て、3時間かかっても、一晩中かかっても、自分が(グループの代表として)仕上げる。だから、任せて!」と力強い言葉を残して下校した生徒もいました。

明日の成功を祈っていますネ。

 

 

 

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