Critical Thinking

投稿日:2012年5月17日

オーストラリアと日本の教育には、いろいろな違いがあります。
その違いの最たるもののひとつが、このCritical Thinkingというものです。
日本と対極にあるといってもいいものです。
日本の教育では、知識を与えられ、それを習い、覚え、記憶し、その記憶を測るためのテストをします。そのテストの点数が良ければ、能力が高いと評価されます。
知識の積み重ねはオーストラリアの学習でももちろん大事です。基本的な知識がなければ考えることができません。
違いは、その後です。
知識を得たら、それをどう使い、どう応用するか、選択肢はどのくらいあるのか、先が見えるのか、それは正しいのか、応用の過程に問題はないのか、結果はどうか、失敗ならどこが拙かったのか、どこで狂ってしまったのか、最初の案のどこに失敗の原因があったのか、もっとベターな応用方法があったのではないか、というようなことを考えさせるのが、Critical Thinkingです。
このCritical Thinkingの能力を高めるために、あらゆる分野で訓練されます。
そして、この方法や過程を問題解決のために応用します。
そのためには、話し合いが大事、自分の意見や考えを表明することが大事、自分のポイントを相手に理解させることが大事。だから、よく話します。意見を言います。意見を求められます。考えることを強いられます。思考の過程の説明を求められます。
日本は、数学でも国語の解釈でも、答えが出ていればそれでいいのです。それも、問題に対してはたった一つの答えが。こちらでは、数学は、正解であっても答えだけではフルの点数にはなりません。問題を解いていく過程を書き出すことを求められます。そして、最終の答えが間違っていても、過程が書いてあれば、それに対して評価が与えられます。
文学も絵も音楽も解釈は、いろいろなものがあっていいのです。この解釈以外はすべて間違い、なんていうことはないのです。
ICETの教育の目的を成就させるための手段の6番目がこれです。
6  Critical thinking and problem solving
     批判的な物の考え方と問題解決
日本から来た留学性は、最初の頃は、これを苦手中の苦手とします。それはそうでしょう、ほとんどの生徒がやったことがないのですから。
授業中に自分の意見を求められる!? これほど苦痛に感じることはないようです。
自分が特定のことに関して、どんな意見をもっているかもよくわからない。持っていても、そんなことをみんなの前で言うなんて! 間違ったらどうしよう。何を言ったらいいのかわからない。
そして、あるのは沈黙。これが、何ヶ月も続きます。1年続く生徒もいます。それまでやったことがないから、仕方がないといえば、仕方がないのですが。
「オーストラリアの授業がうるさくて、なんて秩序の無い授業だと最初は思っていたけれど、言葉が徐々にわかってきたら、実は、先生の言葉に生徒が自在に自分の意見をぶつけていたり、生徒の意見にまた別の生徒が意見をぶつけていたのだということがわかった」という生徒もいました。
また、自分の意見や考えを論理的に説明するということも求められます。日本人の生徒の答えは、単語ひとつ、たまに文章が終わりまで出たら上出来。それ以上長くなることは滅多にありません。説明が必要なことになると、始めても、たいていは、途中で崩れてしまいます。
これが、きちんと自分の意見を表明できるようになるまでは、相当な時間を要します。でも、それができるようになると、とても楽しいのですね。
ところが、せっかく苦労してようやく自分の意見を表明できるようになったのに、日本でこれをすると、「生意気だ!」「授業態度が悪い!」と問題になるのです。
Critical Thinkingは、国際的に活躍するためには欠かせない能力です。
この能力を留学中にできるだけ培うことが、ICETの目標のひとつであるのは、そういう理由からです。

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