偶然は必然
投稿日:2012年7月15日
「偶然は必然」だと言います。
偶然に起っているように見えても、それにはそれなりの理由があって、起こるべくして起っていることなのだ、と。
こんなタイミングで物事は起こるものなのか、というできごとが今日ありました。
先日、ある保護者から、留学中の生徒のお祖父様が余命あと1ヶ月とドクターから言われたので、葬儀などに日本に戻れるだろうかというお問い合わせがありました。
お 祖父様と精神的に近い距離に生徒があり、休暇中でもあり、それならば、お祖父様の意識がまだはっきりしてみえる今のうちに一時帰国するほうがいいのではな いかということになりました。たまたま、ホストマムも最近お母様を亡くされたばかりで、何が何でも今お祖父様に逢いに日本に戻るべきと強く後押しされまし た。
今日の今日に、という突発的な出発でした。
私も留学中に祖母を亡くし、母が逝ってしまったのはもう5年も前のことなのに、まるで昨日のことかのように鮮明に心に体に頭に記憶が刻まれています。
今年留学直前にお祖母様を亡くした生徒は、留学してきてから、「喪失」と「悲しみ」と「死後の世界とのつながり」とに小さな心を揺らしていました。
人間にとって、唯一確かなこと、それは、誰もがいつか「死」を迎えるということです。しかしながら、それに向かい合うことは、人生の中で最も難しいことであり、様々な苦痛を伴います。
どういうふうにその瞬間を過ごすかは、後々にまで大きく影響します。だからこそ、間に合うのであれば、意識のあるうちに、大事な言葉を交わすことが極めて大事になります。
この生徒は、とんぼ返りでの一時帰国であり、滞在はわずか2日間。お祖父様に感謝し、さようならが言えたら、シドニーに戻ることになっていました。それがなんと、2日目、もうそろそろ空港に向けて出ようという矢先に、お祖父様が息を引き取られたのです。
お祖父様は、どんなにか孫が帰宅することを待っていらしたことでしょう。そして、わずか半年の間に大きく成長した孫の顔をご覧になり、安心されて旅立たれたようです。
このタイミングで、この瞬間を選ばれたのは、残された家族たちが一緒に喪失の悲しみを超え、一緒に苦難に立ち向かい、家族の絆をさらに深める機会を与えるためだったのかもしれません。
心からご冥福を祈ります。