ベストを尽くす
投稿日:2012年7月20日
「ベストを尽くす」と言います。「ベストを尽くせ」と言われます。
よく使われるこの言葉が、実際には、それを実行することは、結構難しいのではないかと思われます。
生徒たちにインタビューをして自分に対する評価を求めると、「ベストを尽くした」とまったくの曇りなく言える生徒は稀です。
そ うしたいと思っていてそうできない裏には、いろいろな理由があり、それは、本人にしかわからないことなのかもしれません。あるいは、「ベストを尽くした」 と言い切ってしまうことにたまらいを感じるのかもしれません。「それがあなたのベストなの?」と評価されてしまうかもしれないことに、あるいは、「あなた のベストってそんなものなの」と見下されてしまうかもしれないことに。
本当にベストを尽くしている姿は、実は、とても感動的なものなのだということをまだ味わっていないのかもしれません。
そして、ベストを尽くしたことが自分をとても誇らしくすることに、さらに、自信をもたらすことに気がついていないのかもしれません。
ベストを尽くすということの良い例を今日見せてもらいました。
学校から60キロほど離れたところにイースタン・クリーク・モーターウエイというカーレースのサーキットがあります。そこで、NSW州のクロス・カントリーの大会がありました。
タ イキ君が、デイビッドソンから唯一の代表としてそれに参加しました。いつも体調を整え、日ごろからきちんとトレーニングをしている生徒ですが、ウオーミン グ・アップをするために、レースの2時間前には会場に着いていたいということ。行きの車の中でも、精神的な集中を試みていることは明白でした。
余計なことは話しかけられない雰囲気を体全体からかもし出していました。会場でも、全身全霊で集中していることが見てとれました。
州全体から集まってきた相当数の生徒たちが走ったのですが、彼は、17歳の男子6kmの項目で、ゴールに入ってきた最初の集団の中にいました。結果がどうなのかはまだわかっていません。全部、インターネットに掲載されるのだそうです。
噴き出す汗を拭きながらの彼のコメントは爽やかでした。「良いレースができたと思う。みんなが速いので、自分のスピードもあがるから、結果は前のものよりもいいと思う」と。
この結果でナショナルに行くか行かないか、ということは問題でなく、また、人と比較してではなく、あくまでも、自分の成果、自分の伸びに視線があるのです。
ベストを尽くすということはこういうことであり、それ故の結果だからこそ、結果の如何に関わらずそれなりに自分がきちんと受け止められるものであるのだということをタイキ君を見ていて思いました。
そして、やっぱり、美しいのです。なによりも、爽やかでした。その姿勢は。