たからもの
投稿日:2012年10月17日
「つま先から頭のてっぺんまで、たから物で詰まっている」
これは、私が人間について生徒たちによく言う言葉です。
二つの固体が3つになる。これだけでも神秘です。
ひとつひとつの卵子が母親の遺伝子を運び、一つ一つの精子が父親の遺伝子を運び、受精した卵子が細胞分裂を繰り返していく。その細胞は、自分が心臓になり、頭脳になり、肝臓になり、血になることを知っている・・・・ これは、まさに神秘としかいいようがありません。
私たちの身体は、そんな利巧な細胞が何億、何千億と集まった個体です。それが、たからものでなくて何でしょう???
そこに詰まったたからものを、たからものとして認識できるようにするにはどうしたらいいのでしょう。
使ってみるしかありません。使ってみたら、体が、心が、必ず反応します。初めから上手に反応するものもあれば、最初は苦痛であっても徐々に楽しくなるものもあります。最初から全く関心を示せないものもあれば、強く惹かれて即座に心を燃やせるものもあります。そういう過程を通って体験が積み上げられると、初めてそこに才能が見えてきます。
体験があって、楽しさを感じるようになります。体験があって才能は目覚めます。細胞も才能も、体験して刺激を与えてみないとどんな反応をするかはわかりません。体の中にあるたからものは、体験を通して、訓練を通して、重なる刺激を通して、磨かれ光出すようになります。
体験がなければ、どんな宝物も体内に眠っただけで終わります。だから、体験が大事なのです。そして、その積み上げ、継続が大事なのです。
留学が、大きな成長をもたらすのは、この体験の幅が大きいからです。いろいろなことをやってみることによって、中に眠っている可能性を刺激することができます。新しい発想もたくさん生まれてくるようになります。留学の最初から、生徒たちは、チャレンジ、挑戦、いろいろなことをやってみる、ということを言われ続けています。でも、Comfort Zone(居心地のよい居場所)から抜け出ることは、やっぱり簡単ではないのですよね。想像以上に難しいことです。言葉ではわかっていても、その勇気が伴わなかったり、怖さや不安のほうが堂々と居座ってしまっていたり、と。
9ヶ月、10ヶ月経ってから、今ようやくいろいろな意味が実感として理解できるようになってきているようです。そうなると、このことが初めからわかっていたらとか、ああ、やり直しができたらとかいろいろ思うようですが、タイミングはいつでもいいのです、大事なことは、この実感があることです。ああ、そうか、そういうことだったのか・・・という。
これが、才能の目覚めに繋がることであり、次の励みになるものです。
人間が、どういう時に「やるぞ」という気持ちになるかというと、有る程度の勝算がある時、自分の期待を満たすことができるかもしれないという予感がある時、これが必ず役に立つという確信を持てる時、とてつもない魅力を感じる時、絶対に成功するという野心に燃える時など、大きく立っている自分がある程度想像できる時です。絶対に届かない、絶対に勝てないことがあまりにも明白ならば、初めから 挑戦しようとさえ思わないでしょう。
達成可能を信じることができるのは、小さな成功の積み重ねです。毎日の生活の中で、小さな感動、小さな目標の達成、そうした小さなものが重なっていくことで自信を付けていくことができます。1月からのそういう小さな積み上げは、10ヶ月も経てば、1月には想像がつかなかったほどに大きなものになります。その自信が次への糧となり、「やるぞ」という気持ちを支え、燃え上がらせるものとなります。
やるぞという気持ちと、有る程度の能力が重なってくると、集中して課題に取り組む姿勢が出てきます。集中して取り組んだら、必ず、結果を伴うようになります。結果が出れば、ますます面白くなり、やる気を増します。
学習なんて、考えてみれば、こういう単純なことなのですが、そのどこかの部分がいずれかの時点で欠けてしまうと、学習への取り組みは徐々に萎えていきます。小中学校で、こういう否定的な体験を重ねてしまうと、大きな夢を見ることが難しくなってしまうのですが、でも、どこかで、肯定的な体験ができれば、それまで考えられなかった飛躍を遂げることだって可能です。
今、10ヶ月経ち、生徒たちは燃えています。この燃えるエネルギーを帰国してからどう保つか、どのようにこのエネルギーを活用するかが大きな課題です。