ソーシャル・メディア

投稿日:2012年10月21日

今高校生の若者たちは、Generation Zと呼ばれる世代です。

Gen Z(ジェン・ゼット)世代は、1995年生まれ以降が相当します。彼らは、極めて洗練された環境の中に育ち、産まれた時から電波とコンピューターに囲まれた生活をしている子どもたちです。テレビが子守唄代わりとなり、テレビやコンピューターゲームを競い、小学校にも上がらない前からコンピューターを使い、携帯電話を持ち歩き、ポケットには音楽を聴くための小さな器具が入っています。

情報量は、一世代前と比較しても、二世代前と比較したら確実に途方もなく違います。親や教師よりも格段に多量の情報を持っているかもしれません。知りたいと思えば、すぐ手の中で何でも答えが戻ってくるような、すぐに瞬間的な反応があることにも慣れています。そして、それがないと物足りないし、イライラすることもあります。

その若者たちの多くがグローバルで多様性のある環境の中に育っています。日本だけがまだそこから取り残されているといえばいいのか、隔絶されているといえばいいのか、守られているといえばいいのか、立場と見方によって違いましょうが、オーストラリアのような民族的な多様性はありません。でも、経済的には物品の流れも金融の流れもすでにグローバルであり、それに伴って文化にも徐々に多様性が出てきています。

若者たちにグローバルな土台で多様性を与えるひとつのツールが、TwitterやFacebookのようなソーシャル・メディアです。それを使うことの恩恵は計り知れません。このブログもそのひとつです。しかしながら、それに伴うマイナス面、危険な面も問題となっています。

サイバー上でのいじめ、社会生活からの逃避の場、学習妨害、睡眠妨害などその弊害があります。PCの使いすぎが、学習に大きく影響していることは、生徒たちの使う時間、睡眠時間、そして、昼間の学習に向かう姿勢の関連を見えば明らかです。ハッカー問題はもちろん、情報の取り扱いの問題、先日来日本で問題になっているウイルスによる書き込みとその誤認逮捕のような、今までの社会では考えられなかった問題がこれからますます発生してくることでしょう。

6月に開催したURA Forumでは、文化背景に関わらず、若者の中にPCがあることはもう当たり前のことで、ネットでつながっていることがむしろ孤独感を強調するという意見もありました。逆に言えば、孤独ゆえにネットでつながりたいということもまた然りなのかもしれません。

先日、アメリカのCBSニュースでしたか、非常におもしろいことを言っていました。

例えば、Facebookにどんなメッセージを載せているか、どんな写真を載せているかが大学進学に、企業への就職に大きく影響するというのです。生徒を選ぶのに、その生徒のFacebookを覗き、その友達のサイトを覗き、あまりにもひとい言葉、写真を載せているものは、選考から外している大学がある、ということを話していました。自分だけでなく、友達が自分のものとして掲載する写真にも要注意!ということなのです。

勝手に覗かれるというこもあまり気味のいいものではありませんが、でも、それが十分に可能なのがソーシャル・メディアであり、こういうことにも使われ始めているということは、何を掲載するかに細心の注意が必要だということです。

毎年、留学生活が始まる前に、Netiquette(ネット+エチケット)と称して、ネット上でのマナー、インターネットの使い方などについて話し合いをします。自分の身を守るためにも、人々を大事にするためにも大事なことだからです。

私は、一般に疲れているエリートという言葉は好きではありませんが、本来の切磋琢磨して自分を磨いてきた人々という意味で、また、社会に大きな貢献ができるという意味での「エリート」になるためには、身をきれいに保っておくこと、品格のある生活を送ること、そして、責任ある行動をすることがとても大事です。それは、すでに十代から始まっています。

CBSのニュースで言っていたのは、泥酔している場面や暴言やどうみても品性があるとは思えないような写真を掲載することは気を付けるべきだということでした。

Social Mediaを使っている皆さん、Netiqutteのみならず、自分がどのように使っているか、自分をどのように社会に見せているか、また、どう見られているのか、立ち止まって考えてみるいい機会かと思います。

 

 

 

 

 

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