自然の猛威が残す教訓
投稿日:2012年11月3日
2011年、ニューヨークは、憎しみに満ちた恐ろしい体験をしました。
その後、憎しみに対する憎しみがイラクに、そして、アフガニスタンにと広がりました。世界の至るところで、ひとつの行為に対する報復の行為が繰り返されています。
10年が経ち、ニューヨークは、再び、恐ろしい体験をしています。でも、今回は、自然という人間が決して支配できることのできない巨大な力によってです。自然が持つ破壊力は想像を絶します。人々は、昨日まで安定していたはずの生活の基盤を根こそぎ剥がれてしまいます。
でも、そこにとても不思議なことが起こります。それまで競争していた人々や相手を蹴落としても自分は上に立とうとしていた人々やそれまで隣人の福利など全くの無関心であった人々が、手に手を取り合って協力し合うようになります。信念や価値観を越えて、もっとずっと基本の、共に生存を確保するために助けあうようになります。施政者たちも党派を超えて、同じ目標に向かい始めます。
本来、人間は手を取り合って生活すべきものなのではないのでしょうか。それなのに、考え方の相違や欲や権力闘争などにより、人間はいがみ合います。戦争という名のもとに殺し合いをします。自然の猛威が世界の至るところで、これでもかこれでもか、と人間が築いた文明の物証を無残に壊していきます。手をつなぎあっても、しばらく時間が経つと、それも忘れてしまい、また、闘争が始まります。
人間とは、かくも不思議な生き物です。
日常生活でもそうです。大同から見たらどうでもいい小さな違いをかき回し、双方が後に引けなくなると人間関係までどうにもならないようなものにしてしまい、挙句の果てには、そこに大きな壁を造ってしまいます。そして、いがみ合うのです、醜く。
大災害が起きてから気付くのではなく、毎日の生活の中で、どうしたら、自分の周りの人々を寛容に受け入れることができるか、どういう行動を取ったら隣の人々に思いやりを示すことができるのかといったことを考えてみるといいかもしれません。周囲の人々に思いやりを示すことができなければ、社会に大きな貢献などできようはずがありません。
去年東日本が蒙った災害は、世界の歴史の中でも稀に見る大きなものでした。私たちは、どんな教訓をそこから得たのでしょうか。被災者に直接に援助の手を差し伸べることができなくても、私たちの周りには、人々の優しさを求めている人々がたくさんいます。家庭の中にも、職場にも、学校にも、電車の中にも、社会の至るところで。
アメリカ東海岸のハリケーンの被害は、自然の猛威によって、再び、私たちに教訓が届けられているように思えます。皆さんは、周囲の人々に優しくされていますか?