感謝祭

投稿日:2012年11月11日

カナダの友人夫婦に感謝祭のパーティに招かれ行ってきました。

オーストラリアには、この祝日はありません。習慣が無いからです。

たまたまカナダに帰国していた際に感謝祭が訪れ、20数年ぶりにその雰囲気を体験した友人は、これは、オーストラリアに戻ってぜひとも計画しなければ、と思ったのだそうです。実家のある街には、感謝祭用のグッズが大きな倉庫いっぱいに売り出され、誰もが七面鳥を買い求め、マーケットには、大きなカボチャが並び、どこの家庭にも同じような料理が並ぶのだとのこと。カナダでは、毎年10月の2週目の月曜日がその祝日となるのだそうですが、思い立ったが吉日、オーストラリアに戻るなり、この企画を立てたようです。

 アメリカで感謝祭が大きなお祭りになるようになったのは、ヨーロッパからの移民の最初の船メイ・フラワー号がアメリカの地に着いてから農産物がまともに収穫できるようになるまでに数年かかったことから、収穫があった時の人々の喜びはことのほか大きく、そこから感謝祭が習慣となっていったようです。

カナダに入ったのは、かなり後になってからのようです。でも、国民の心の中では、クリスマス以上に深い意味を感じ大きな祝日となっているとのこと。

6時間もかけて焼いたという七面鳥の丸焼きが出てきたり、カボチャのパイなど、たくさんのご馳走が出てきたのですが、感謝祭とは、こういうことなのかとその意味がわかる瞬間がありました。

夕食後に、ゲスト一人一人が、今、自分が何に感謝しているかを述べよう、とホストである友人からの提案がありました。全員、それぞれが自分が感謝していることを述べ終わると、あるゲストが、「長い間、こんなふうに感謝することを忘れていたよ。足りないものばかりに目が行って、やりたいことができないことばかりに不満を募らせていて、こんなにたくさん感謝できることがあることに気が付いていなかった」とボソッと、恥ずかしげに言いました。

その言葉で、全体の雰囲気が変わりました。もう一度まわっているのに、さらにもっと言いたいこと、付け加えたいことがたくさんでてきたのです。そして、前にも増して笑顔が増え、笑い声も大きくなってきました。人間が感謝するという気持ちを抱く時には、人間って、こんなにも構えを外し、優しくなり、善い心持になるものなのだ、と。そして、心から楽しさを味わえるものになるのだ、と。

感謝するだけで、感謝できることをたくさん見つけるだけで、心が満ちてくるからです。

1日が終わり、ベッドに入る前に、自分が思いつくこと全部に対して感謝を述べる習慣を付けたら、そして、それを大勢の人々が実践したら、目の前で変化を見せる人々を見ていて、社会は実際に変わるのではないかとふと思いました。

 

 

 

 

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