永遠の時
投稿日:2012年11月17日
久々に遠出をしてきました。
シドニーから首都キャンベラの方向に2時間ほど運転すると、極めて肥沃な農地が広がってきます。さらに国立公園の奥のほうに入っていくと、巨大な渓谷につながっていきます。
解決に何か答えが欲しいとき、苦難や困難に直面する人々のために祈りを捧げたいとき、気持ちを整理したいとき、世界に起っている様々な事柄に心が騒ぐとき、目的や意思を明確にしたいとき、壮大なものとつながりたいとき、そんなとき、大自然の中に立つと人間の存在がとるに足らないほどに小さなものに思えます。
何億年も続く大地と天空。人間がそこに現れたのは、ごく最近。しかも、それぞれの命の価値は、70億分の一。でも、世界は、その小さな命を中心にまわるので、生きている限りは、すばらしくすてきなこともある一方で、毎日の中で起こることに悩み、苦しみ、対処し、解決し、想いをめぐらせ、痛みを感じ、慰めあい、協力し合い、助け合い、少しでも苦痛を軽くしようと必死の努力を試みます。
そして、また明日への糧を得ていきます。
絶壁には、まるで壁画が描かれているような模様がくっきりと見えました。この地方には、かつて、アボリジナルの人々がたくさん住んでいました。
この滝も、この岸壁も、きっとアボリジナルの人々が自然を畏怖し、自然の偉大さを崇め奉り、守護神に祈りを捧げたところなのでしょう。白人がこの地にやってきて、この地に住んでいたアボリジナルの人々はこの地を去りました。でも、絶壁には、アボリジナルの人々の祈りが刻まれ、彼らの魂の叫びが聞こえてくるように感じられました。
彼らが崇めた大自然は、そのまま残っています。それを眺める私たちに、人間の性(さが)はすべて一過性のものであり、どんな悩みも苦しみも、やがては灰に帰すものであるということを。それならば、すべての人々の心ができるだけ穏やかに保てることを祈ります。
とっても不思議な形をした樹がありました。いろいろな動物の顔や姿や人の顔まで見えます。コブのひとつひとつが何かを語っているようにも思えます。
この樹は、何百年とこの地の歴史を見てきたのでしょう。そこを通過した一人一人の喜怒哀楽のすべてを包み込んでいるようにも見えます。樹皮のすべての部分が何かを言いたげです。
この地球に送られ、寿命をもらい、生きる目的を課せられた私たち。その命をどう使うのか。何を目的とし、どの道を選び、どんな生き方をし、どんな貢献をし、どんな奇跡を残していくのか。大地や天体とは比べようにならないほどに短い時間しかこの地球上に存在しない私たち。だからこそ、その短い時間をどう生きるかが極めて大事となります。
若者たちは、これから、夢を実現するための道を選択し、手段を得るために勉強し、術を得るために磨き、一歩一歩夢への梯子をかけていきます。時間はあっという間に過ぎていきます。自分の目的意識をしっかりと持ち、今この瞬間にできること、今この瞬間に最高の自分でいることに全エネルギーを傾注して欲しいですね。
それが、「自分を生きること」につながっていきます。