ある平和な日に起こったこと
投稿日:2012年12月15日
アメリカのコネティカットで小学校で銃による襲撃事件が起きました。
27人が死亡。そのうち18人から20人が子どもたち。ある看護婦さんは、子どもが撃たれて殺されたことを告げられる保護者のそばにいたということ。
どうやって、こんなことを受け止めたらいいのでしょう・・・
どうしてこんなことが繰り返し起こるのでしょう・・・
どうしてアメリカじゅうの人々は、銃の規制を求めて立ち上がらないのでしょう・・・
アメリカの銃のロビイストの力は恐ろしく強いものだと聞きます。武器や兵器で互いを威嚇し、武器や兵器の製造で金を儲け、主義主張が違えば力で制裁し、果ては、どんな理由を作ってでも敵とみなす人々を殺していくような文化・システムを作ってしまった世界であれば、個人のこんな暴力もその一部でしかないということなのでしょうか。
ある日、子どもを学校に送り出した。夢だにも想像できないようなことに巻き込まれてしまった。学校という最も安全であるべきところで、これ以上ない暴力が行使されてしまった。
こんな残酷なことができる人間を生み出してしまう社会。そして、その道具を自由に与える社会。まったく平和な朝を迎えたはずなのに、こんなふうに人生を奈落の底に落とされてしまう人々。涙を流す以外に何もできない自分の不甲斐なさを感じながら、犠牲になった人々に祈りを捧げます。
ここ10日間ほどずっと大きなニュースとしてオーストラリアで取り上げられていたことがあります。イギリスのウイリアム王子の妻ケートさんが極度のモーニング・シックネス(つわり)で緊急入院した病院の看護婦さんが自殺したというものです。なぜ、オーストラリアで繰り返し繰り返し大事件として報道されたかというと、自殺の原因となったのが、オーストラリアのあるラジオ局のトークショーのホスト2人がいたずら電話をしたことに原因があったからです。
クイーンと偽って病院に電話し、ケートさんの容態を詳しく聞き出し、それを録音し、ツイッターなどでその内容を流した。情報源に仕立て上げられてしまった看護婦さんは、極めて優秀で極めて真面目な看護婦さんだったということです。自分の任務に徹し、看護婦としてみんなの尊敬を集めていた方に、ある日、突然に降りかかってきたできごとです。
オーストラリアは極めて敏感に反応しました。その番組が中止となり、二人のホストが解雇されただけでなく、報道のあり方についてたくさんの議論が起こり、政府や報道関係全体が見直すための大きなきっかけとなりました。関係した二人のホストのインタビューがありました。悪ふさけではあったものの、決して悪意があってのことではなかったような印象を受けました。しかしながら、結果は、ある極めて真面目な一人の死に至ったわけです。
この事件も、いろいろなことを考えさせるものでした。おもしろさ、おかしさを求めての悪ふざけは、テレビ番組を含め、社会全体に横行しています。特に、日本のテレビ番組の内容は、オーストラリアの報道規制の元では、到底考えられないようなものがたくさんあります。悪ふざけが高じればいじめにも通じます。悪ふざけでなくても、口から発せられる言葉は、それなりの重みを持ちます。
発する言葉の意味を考えることは、私たち一人一人の注意に託されているものなのでしょう。この事件は、そういう意識をみんなの中に喚起するものとなりました。
たったひとつしかない地球で、誰もが命はひとつしか与えられていないのに、互いを尊重しながら平和に生きるという選択をすることがどれほどに難しいことか・・・・
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シドニーでは、今日、Japan Festivalが催されます。図らずも、日豪の関係も良いものであり、この国が平和であることに改めて感謝する朝となりました。
シドニー滞在中の5名の生徒たちは、久々に日本の雰囲気を楽しむことでしょう。外国における「日本」は、彼らの若い目にどんなふうに映るのでしょう・・・