つながり

投稿日:2012年12月16日

人間にとって、最も大事なことのひとつは、人々とつながっているということです。

親子、夫婦、家族という単位から始まり、友人、目的を同じくする人々が集まっている会のメンバー、居住地のご近所さんたち、地域社会の人々、とその輪が広がり、それが、国内、世界全体へと知らない人々までへと共感が広がっていきます。

日本の地震と津波と原発事故、ロンドンの病院でのできごと、タリバンの銃弾に倒れたパキスタンの少女、コネチカット州での小学校でのできごとなど、想像もできない悲劇が起こると人々の心は自動的につながります。今、世界中の人々が、昨日奪われてしまった小さな命のことを想い、その親御さんたちのこれからの人生の重さに心を痛めていることでしょう。ロンドンで行われた看護婦さんの葬儀で、ご遺族に世界中からの励ましが届いていると述べられていました。

オバマ大統領の涙は、やがて、大きな政治的決断につながっていくのでしょうが、彼の涙は、戦争で命を落としているアフガニスタンやパレスチナの小さな子どもたち、飢餓で死んでいく多くのアフリカの子どもたちの上にも注がれるものであることを願います。

日本でも今日、選挙の結果という形で人々が望み考えるところが出てきます。共感は必ずしも国政というものに反映されるものではないのかもしれませんが、国民の一人一人が国に何を望むかを託す貴重な場でもあります。同時に、もっと大事なことは、われわれ一人一人が自分のできるところで、人々との絆、つながりを大事に作っていくということだろうと思います。

家族という単位がしっかりとつながっていると、人間は根本のところで安定しています。家族の中での深いつながりがないと、人間は安定しなくなります。これは、20年の高校生たちとの交流と経験を通して、言い切ることができます。疑問の余地のないところです。そして、例外もありません。子どもたちが留学してきてホストと上手に絆を築けない、学習にも力が入らない、いろいろなことへのやる気がなかなか起こらない、起こっても長続きしない、すぐにあきらめてしまう、自分の力を信頼することができない、といった現象は、新しい環境だから起こることではありません。日本の家族に直結しているのです。なぜならば、生徒が持つ唯一の原型・模範が、日本の家庭、その中での、人々の関係、交流だからです。とても不思議なことなのですが、親子、家族の絆は、人間にとって絶対的なものであるというひとつの証明でしょう。

親に愛された子どもは、人々を愛することができます。ここでいう愛されるという意味は、溺愛、子ども本意の放任、依存した愛という意味ではありません。これをしたらこうしてあげるというような条件付きのものでもありません。社会で自立していくための術、境界線、精神的な強さ、少しずつ手離す勇気、試練を体験させる場の設定など、小さな頃からさまざまな体験を通し、親子の交流の時間を通し、しっかりと子どもに教えるということです。その過程において、子どもを甘やかせ、いつも子どもの望むものを制限なく与えている場合には、親子の立場は逆転します。

親が子どもを導き、教えるという立場から、親は子どもに仕える存在になってしまいます。そうなると、ある一定の年齢になってくれば、親の言うことなど聞かず、親を見下し、親に養ってもらっているにも関わらず、感謝どころかしてもらって当たり前、どんなにしてもらってもまだ足りないということになっていきます。

モンスター・ピアレンツという言葉が日本にはあるようですが、おそらく、そのピアレンツの元には、モンスター・キッズが育っているのでしょう。そうした子どもたちを作ってしまわないことが、子どもを世に送り出す親としての一番の責任だろうと思います。

「愛のムチ」という言葉にあるとおり、愛の中には、厳しい試練もあります。日本で、「ひきこもり」という言葉が造成されているように、親子の会話もままならず、自分の部屋に閉じこもり一人の世界にはいってしまう現象が蔓延しています。日本でドキュメンタリーを制作し2002年に英国BBC 放送で報道されたPhil Rees氏の「The Missing Million(失なわれている百万人)」によれば、その数、100万人を越えるといいます。そんな数の大人の扶養者を抱える社会は、どうなるのでしょう。そうなってしまわない前に、その青年たちが社会で自立できるように鼓舞し場を設定し、引っ張り出していくことができるのは、親、家族しかありません。

「引きこもり」の対極にあるのが、留学生たちです。そして、この「愛のムチ」をまさに地で実践しようとしているのが、子どもを1年または3年と言う長きに渡って送り出そうとされている親御さんたちです。その覚悟のほどに、そして、勇気に、心から敬服し、同時に、その若者たちの教育をここで担う責任の重さを痛感します。

留学の1年は、あっという間に、楽しく過ぎていきます。子どもたちは、「楽しい」「楽しい」と言います。でも、その裏には、楽しいだけであるわけがなく、そこには、よそのお家にお世話になる、まったく違う方法で学習が行われる、そして、新しい言語を習得していく、という環境への順応が問われます。その順応の過程を発見とみれば、すべてが楽しく思えるのかもしれません。留学に出る前に、できるだけの社会体験、同じ活動・体験を共に楽しむ親子の交流、社会問題や時事問題など環境で起こっていることについての親子・家族内での会話、一緒に食卓を囲む時間、日本の文化についての話、ご両親の小さな頃の体験話、現在の職場でのお仕事の内容(それにかける情熱や遭遇する困難など)をたくさん積んでください。そのすべてのことが、お子さんの留学に来てからの生活の土台となっていきます。

 昨日は、Japan Festivalという催しがシドニーでありました。たくさんの人々が集まっていました。それも、日本とオーストラリアの間にすばらしいつながりがあればこそのことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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