一番長くつきあう人をよく知ろう
投稿日:2013年2月2日
人なみな違います。一人一人がみなユニークな存在です。
違いがあってOK。違いがあるから楽しい。違いがあるから社会が成り立つ。違いは楽しい。だから、人と違うことを恐れなくていい。自分の意見を言って大丈夫。というようなことを言うと、瞳を輝かす生徒たちと、心配げな表情を見せる生徒たちがいます。でも、たったこれだけのことを言われるだけで、生徒たちの中にはなんとなく安心感が広がるようです。
どれだけ自分がユニークで、それぞれの人々がどれだけユニークであるかを知る学習が、このプログラムの内容のひとつです。
人間が生まれて死ぬまで一緒に旅を続けるのは、ただ独り、自分のみです。
十代の半ばにもなれば、生まれた時から庇護の元にあった親からの自立を試み、親を越えようと励み、やがては、自分独自の世界を社会の中に築いていきます。
人生の旅の途中には、いろいろな人々が道連れとして登場してきます。友達、地域社会の人々、先生たち、コーチ、先輩、後輩、同僚、上司、部下など様々な呼称で呼ばれる人々がいて、出逢うたびに、そこになんらかの人間関係が生まれます。
共感を覚え、すぐに親しくなる人。一目みただけで遠ざけてしまう人。価値観の違いから難しいと感じる人。趣味や関心がよく似ていて話しに乗りやすい人。楽しく遊ぶのには絶好の仲間たち。互いに切磋琢磨し合える人々。つきあうほどに味が出てくる人々。絶対的な信頼を置くようになる人。生涯の友となるような人。それこそ、様々な関係が自分の周りにできます。
その中心にある自分ならば、自分のことをよくわかっていることが当たり前なのでしょうが、実際のところ自分をよく知り、深く理解するのは簡単ではありません。自分を知るということにあまり拘らない人もいます。自分(や人間)を知るために心理学や哲学を追求するようになる人もいます。
なぜ自分を知ることがそんなにも難しいのでしょう。おそらく、自分が周りの人々を映す鏡であるからなのでしょう。誰に何を見るかは、すべて自分の中で作り出すものであり、自分の中にある感覚や価値観で判断するものです。しかも、その部分のほとんどは、表に明白に見えません。
小さな頃から私たちは、家族や学校や社会から、どのように振る舞うべきかを教えられ、そのための模範があり、周りの人々の言動や行動と比較され、社会の中での自分像を作っていきます。こうした部分は、表に見えるもので、しかも、一人の人間の氷山の一角にしか過ぎない部分です。その見える部分の形成すらも、自分形成の過程をいつも意識しているわけではありません。
ましてや、内部にあるものは、ますます見えにくくなります。自分が持っている価値観だって、こういう価値観を持っているんだといつも意識しているわけではなく、ある時、他の人々と対立することがあり、そこで始めて自分の奥に何か揺るがないもの、絶対に譲れない部分があることに気が付くようになります。それが果たして何であるのか・・・となると、もっとさらに理解と時間が必要となります。
最初から最後まで一生つきあうのが自分ならば、自分のことを深く知っておくにこしたことはありません。さらに、その自分が好きで、慈しむ対象であれば、生きていくことはとてもらくだし楽しいことです。自分を知ることの学習がなぜ大事かというと、自分を深く知り、よく理解することで、自分に自信を持つようになるからです。そして、その自分を尊重するにようになります。高校生の誰もが、自分が大好き、と言えるようになって欲しいのです。
私の心が最も痛む瞬間は、生徒の口から「自分は勉強ができない」「自分はバカだからしかたない」「自分が嫌い」といった言葉が発せられる時です。そして、それが稀ではないのです。その観念だけは、この1年でさっぱりと捨て去っていって欲しいと心から願うばかりです。ICETのPersonal Developmentの授業の目的のひとつは、それを拭い去り、その代わりに自信を付けることを試みる場でもあります。
以下は、昨日生徒たちに手渡された今年の行事表です。内容は、時には変更がありますことをあらかじめご了承いただけますとありがたいです。
http://www.icet.edu.au/download/ICETSSCalendar2013.pdf