幸運な若者たち

投稿日:2013年2月10日

日本とオーストラリアの学校生活はとても違います。

どちらがいい、どちらが劣る、ということではまったくありません。それぞれが、その国の歴史や文化の中で、その時代の流れに相応して生まれてきたものです。

いろいろなことが大きく異なりますが、学ぶということへのアプローチの仕方もそのひとつです。

日本は、達するところが100とすれば、70に達したら、足りない30を伸ばすことを鼓舞されます。足りないところに視点が行きます。オーストラリアは、70に達したことを褒められ、達成したことに視点が行きます。達成したことを次の達成への活力とし、そこからさらに改善を試みて伸ばすことを鼓舞されます。

決められた照準に視点を合わせ、それに向かって自分を高めるか、そうではなく、自分の達成を軸にして、さらにその中身を高度で広がりのあるものにしていくかという主体の軸が違います。

枠や基準やルールや勉強に求められるものがしっかりと決まっていて、自分がそれに照らしてどこにいるのかがわかるほうが勉学がやりやすいという生徒もいれば、オーストラリアに来て、その枠を外され、自分が学習の主体になったことで一挙に花を開かせる生徒もいます。

生徒それぞれのパーソナリティや生徒がこれまでに積んできた学習に対するアプローチの仕方によって、違いの受け止め方は違います。この点でも、良い悪いではなく、違いがある、ということを理解する必要があります。

大事なことは、学習者が、学習の責任は自分にある、ということを自覚するということです。いずれのアプローチの中においても、自分の果たさなければならない役目があり、そこをしっかりとわかっていれば、どちらのアプローチからも自分を創り上げていくために自分が汲み取るべきことや自分がすべきことが見えてきます。

このふたつの学習や達成に対する全く違うアプローチを15、16歳という年齢で体験できるということは、学習者としての幅を無限大に広げます。そして、学習に対する逞しさも倍増します。人間の幅は、体験、知識、応用、知恵などをどれだけ学習として取り入れてきたかで決まりますから、そう考えると、高校で留学する(した)こどが如何に幸運なことであるかがよく見えてきます。

それを自覚し、多いに日々の自分の学習に役立てて欲しいですね。

現在留学中の生徒はもちろん、この違いを自覚することで自分の許容範囲を大きく広げ、たくさんのことを体験し、吸収してください。

ICETのプログラムを終えて日本の学校に戻っている生徒たちは、自分の体験が如何に自分の学習者としての幅を広げるものであったか、そして、そこを通った自分がどれほど成長しているかを再度自覚し、足りないことを指摘されても、それを何十倍にも超える人間としての強さと幅を持っていることを思い出し、未来への学習の力の源泉としてください。このことをしっかりと意識して、日本での勉学をがんばっているという便りは、大きな喜びを運んできてくれます。

大学にいる学生たちも、企業に出ている人たちも、留学で得たものを多いに謳歌すると同時に、もし、時に立ち止まることがあったり、行き詰まりを感じることがあったら、自分がどれだけ幸運で、どれだけの底力を持っていることを思い出してください。

それは、学校の成績やテストの点数では決して示すことができない、未来への無限の財産です。卒業生は、それを持っています。自分の中に。忘れないで。

留学中の生徒たちは、その財産をこれから築くのです。新しいことに思い切り挑戦し、新しい理解と意識を自分の中に生み出すことで。毎日の時間は、とっても貴重! 二度とない時間を上手に使いましょうね。

 

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