音とイントネーション

投稿日:2013年3月25日

学習とは、とても不思議なものです。

今日は、おもしろい場面をふたつ体験しました。

ひとつは、Mr. Manningのお話。Academic Writingという授業で、生徒たちが手紙を書く練習をしました。「書いたものが添削してあるので、欲しい人?」と呼びかけたら一人しか手をあげなかった。「添削したのを読み直したり書き直したらよい勉強になるよ。欲しい人?」と再度呼びかけたら、半分の手があがった。あとの半分は、書き直したものを先生のところに残したままとなった、というお話でした。

もちろん、先生は、生徒のやる気を見るために、こんなことをしたのでしょうが、半分が、どうでもいい、もうやったのだから、またやり直す必要はない、と思ったのか、自分の作品を受け取りにこなかったというのは興味深いことでした。

英語の学習の度合いを深めるには、添削されたものを見直し、書き直し、読み直しすることで上手くなっていくので、その機会を逃しているということは、繰り返すことの大切さをまだ理解していないのかな、とその時は思いました。

それから数時間後に、日本語で行われた歴史の授業を見学しました。日本が第二次大戦に至るまでの道をビデオで観ながら、その後に、要点とキーワードを(  )の中に入れていく聞き取りの問題がありました。普段、時々、英語の授業を覗かせてもらうのですが、英語で似たような練習問題が出てきても、生徒たちは、本当に静かです。それが、この歴史の練習問題は、残念ながらビデオの音声が十分でなかったので、聞いて書き入れるというのではなく、先生が答えを与えるという形になったものの、生徒たちが徐々に乗ってきました。答えがわからないと先生に尋ねたり、他の生徒たちと答えを確かめ合います。どの(  )もきちんと埋めようとしていました。

そこでハタッと思いだされたのが、午前中のMr. Manningの話しでした。何が違うのか? 子どもたちのやる気を起こさせるものは何なのか?

ある歌が頭に浮かびました。ハコネノヤマハテンカノケン、カンコクカンモモノナラズ・・・カクコソアリシカオウジノモノノフ。小学校の時に覚えた歌です。今もしっかりと覚えているので、よほど、歌いこんだのでしょう。意味などまったくわからず、単に、音とメロディを覚えただけのことです。

ある時、これが、箱根の山は 天下の険 ・・・ 斯くこそありしか 往時の武士、という詩であったことを知り、そこに、まったく別の世界が浮かび上がってきました。

もしかすると、多くの生徒たちの英語学習の段階は、まだ、音とリズムとミミズのような文字だけなのかもしれない。私の小学校のハコネと同じで、意味がわからないままに入ってくる音とリズムに耳を傾け、それを丸覚えにしている状態なのではないだろうか。だから、添削されたもの? 自分が間違ったものなど突きつけられたところで、宿題はもう一度やったのだから、それでいいじゃない、ということなのだったのかもしれません。それを何回も書き直すなんて、考えただけで気持ちが萎える、ということだったのかもしれません。

一方、日本語のほうは、言葉の意味がわかるから、やっていることが理解できる。それも、間違ったところ、足りないところが自分ですぐにわかる。上手に埋めれば、満点。気持ちいい。今、この場で済んでしまう。そこに活気があったことは確かです。これを英語でしても、同じような活気に満たされる日がじきにくるといいですね。

それには、やはり、同じ事の繰り返しが何回も何回も要りますね。

先週から、 IELTSの試験結果について、Mr. Manningと生徒の面談が行われています。解答を全部日本語でした生徒がいました。日本では、英語を日本語に直すことが試験の大きな部分だからです。

試験のやり方については、試験の前に日本語で説明しているのですが、この生徒は、問題を全部日本語に訳しました。そして、肝心のあるテーマに沿って手紙を書くということをまったくしていませんでした。その理由は、白紙に英語で手紙を書く、という観念そのものが存在せず、「手紙を書くことをわかっていた」にもかかわらず、白紙に全部英語で書くということと結びつかなかったのです。

それは、そんな英語の試験を日本で見たことがないからです。その生徒の頭の中には、存在しない概念だったのですね。日本での英語学習と、ここでの英語学習は、おそろしくかけ離れたものだということがよくわかります。

 私は、日本の「英語」という教科は、実際にEnglishを学習するものからはほど遠いと思っています。いくらやっても話せるようにならない、使えるようにならない、日本人の英語力がアジアで最も低い水準と言われてもちっとも不思議ではありません。というのは、その方法が適宜でないからです。そして、一旦、日本語のフィルターを通して学習する「英語」の学習方法を身に付けると、その方法から抜け出すことは至難の業です。

毎日の生徒たちの学習振りは、健気です。

 

 

 

 

 

 

函谷関(かんこくかん)も 物ならず 万丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷 前に聳え(そびえ) 後に(しりえに)支う(さそう)
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼なお暗き杉の並木 羊腸(ようちょう)の小径(しょうけい)は 苔(こけ)滑らか 一夫関(いっぷかん)に当るや 万夫(ばんぷ)も開くなし
天下に旅する 剛毅(ごうき)の武士(もののふ) 大刀(だいとう)腰に 足駄(あしだ)がけ 八里の岩ね踏み鳴す(ならす) 斯く(かく)こそありしか 往時(おうじ)の武士(もののふ)

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