読むことの重み
投稿日:2013年4月1日
おもしろい本があります。
フロイド・E・ブルームという神経解剖学のドクターが書いた「BRAIN, MIND, AND BEHAVIOR」という本です。日本語では、講談社から「脳の探検」(脳から精神と行動を見る)というタイトルで出ています。お勧めできる本です。
頭の中に何が起こって、それが行動としてどう出てくるのか、とてもわかりやすく説明されています。これと、「ブルームのタクソノミー」の論理とを重ねると、留学してきて英語を学習する生徒たちが通る学習過程がよく見えてきます。
留学生たちには、さらに学習の上での大きな要素となるものがあります。それは、日本からオーストラリア、東洋から西洋、という大きな環境の変化です。言語が違うだけでなく、学習方法がまったく違います。学習へのアプローチの仕方が全く違います。
さらに、そうしたすべてのことに対する反応は、個々の人々が持つ性格(パーソナリティ)によって、飛び込み方も、受け止め方も、使い方も、出し方もみな違います。その生徒が到着時に持ってきた言語学習のレベルによっても、どのような学習を必要としているかも、学習がどのように浸透していくかも大きく違ってきます。
私がブログで綴っているのは、たまたま、日々の生活の中で見かける場面で、ああ、こんな過程を通っていくのだなという私の観察とそれに対するコメントや、想いや、願いや、戸惑いや、驚きや感動です。
そうした観察の中で、言語学習に関して、確実に言えることがいくつかあります。
ひとつは、繰り返すことで記憶の中に落とし込むということです。私の時代には、ひとつの単語を10回でも50回でも読み終わった新聞紙に書いて、手にその動きを覚えさせ、視覚からも頭に入れてしまうという記憶の方法でした。ESL-English as a Second Language(母国語がすでにある人が第二言語として英語を習得する)として学習する生徒たちは、この繰り返しをいろいろな方法で行います。読むという形で学習したものを、議論して話すという形で使い、同じ内容のものを聞くという形で学び、そして、エッセイや物語などの形で書く、という読む、聞く、書く、話すという4つの領域にわたってそれぞれに補強し強化していきます。
五感を通し、耳、口、目、手と体を使って、様々な形で、言語を体の中に沁みこませていきます。だから、使えば使うほど上手になるのは、まったく当たり前のことです。しかしながら、話すことがペラペラとできたら、書くことも流暢なるかというと、そのふたつはイコールではありません。やはり、どちらもそれなりの練習を必要とします。
二つ目は、読解力が基盤となる、ということです。
何週間かかけて、Mr. ManningとMr.Kolokossianが生徒たちの協力を得て実施したIELTSが終了しました。IELTS(アイエルツ)というのは、英国のケンブリッジ大学で開発された国際的な英語能力試験で一人が合計4時間ほどの時間をかけて実際に学習や生活に使っている英語の能力を審査するものです。上記の先生がたは、二人とも、正式な審査官としての資格を保有しています。
その結果を分析したり、生徒たちの面談を通して明らかに見えてくることは、読書力が学習の基礎だということです。それは、日本語でも英語でもいいのです。日本語でよく本を読んでいる生徒は、英語でも読むことをあまり億劫がりません。日本語で、小さな頃からあまり本を読んだことがないという生徒は、本を持つことに抵抗があるだけでなく、読む力をはじめ、英語学習の他の領域すべてにおいて、読書力を持つ生徒に比してかなりの遅れを伴うことが如実に表れます。
実際に、この20年間、一貫して見てきたことは、英語学習に秀でる生徒は、日本語における読解力が高く、書く力も高い能力を備えているということです。つまり、日本語を母国語として育った子どもたちの場合、母語の能力に優れていれば、その能力は、他の言語に移行することができると言えます。
2004年に日本大学の森昭雄教授による「ITに殺される子どもたち」(蔓延するゲーム脳)が発行された時、その衝撃は、本当に大きなものでした。実際に、2000年年頃からゲームばかりしていたという生徒の様子に驚愕するようなことがこちらでは見られていました。授業中は起きているのか寝ているのかわからないほどにぼんやりしている生徒が、PCに向かうと別人のように生き返えるのです。その生徒の学習意欲を駆り立てることは至難の業でした。
その後も、やり気を起こさせ、集中させ、学習意欲を駆り立てることが極めて難しい生徒は、後を絶ちません。例外なく、PCが大好きな子どもたちです。本を読んだことはない、本は嫌い、と笑います。
現在の子どもたちは、ソーシャルネットワークもOK、ゲームもOK、映画もOK、なんでもできてしまう小さな不思議な機械を手中に持っています。その中で、読むという行為も出てきます。しかしながら、森教授の著書にあるように、PCでの情報の拾い読みと漫画と文章だけの読書とは、それぞれに脳の使い方がまったく違います。小さな手中のマジック・ボックスを効果的に使って楽しむ一方、高度な知的学習の可能性を阻害されてしまわないためには、一体、どう使えばいいのかということを子どもの一人一人が、親と教師との三つ巴でしっかりと考え、ルールを決め、確実に実践しなければならない時代に私たちは直面しています。
今小さな子どもさんを持ってみえるご夫婦、そして、これから子どもを持とうとしているご夫婦、本を読む習慣は、物心つく前から、そして、PCに触れるずっと前から導入しておかないと、後になって取り返しのつかないことになります。早い時期から本を読んであげてくださいネ。